<ドラマはなぜ10回〜11回なのか>日本のテレビドラマは「ガラパゴス化」している


高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事/社会臨床学会会員]

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放送作家として、社会臨床学会の会員として日本テレビの10回連続ドラマ「Dr.倫太郎」(日本テレビ)を欠かさず観てきた。

かつて、連続ドラマは13回をワンクールとしていた。

いまは、期首・期末に視聴率が期待できる長時間特番が編成されるので、連続ドラマは10回ないし11回連続である。期首・期末特番は大抵バラエティである。時に大型ドラマなどの時は2時間に延長してドラマの第1回特番になることもある。

ただし、後者の場合は連続ドラマにおいて、当初は登場人物紹介や、伏線張りの作業があるので、どうしても冗長になる傾向がある。冗長になると当然視聴率が取れないので、連続ドラマのスタートとしてはあまりよろしくない。

それで、ドラマ側はこの特番に仕掛けを施さなければならないのだが、仕掛けがそう簡単に思いつくとは限らないので、連続ドラマの第1回はできれば長時間特番にするのを避けたい。

できれば、期首・期末特番のラッシュが終わった平常時、つまり裏番組に敵があまりいないときにすっと始めたいというのがドラマ側の本音だろう。

「Dr.倫太郎」は、この「すっと始める方」を選んだ。

こうした場合、編成局が次のように余計な口を挟むことがある。

「途中から観た人でも分かるようにして欲しい」

・・・となると、主役の人物設定(「Dr.倫太郎」の場合日野倫太郎が大学病院の精神分析家であること)さえ、分かればドラマの内容が分かる「1話完結のエピソード」を挟むことである。

「Dr.倫太郎」は、最初の方の回ではその手法をとった。しかし、この手法には欠点もある。ドラマを10回完結の起承転結と考えたときに、その筋立てにエピソードが邪魔をしてしまうのである。「Dr.倫太郎」は、その罠に見事にはまってしまった。

10回完結の起承転結としての筋立ては倫太郎(堺雅人)と患者である芸者夢乃(蒼井優)の恋の行方がどうなるか、である。これにエピソードが邪魔をする。「Dr.倫太郎」もエピソードは必要だが多すぎて邪魔になるという経緯をたどってしまった。

ところで、10回から13回の連続ドラマというのは、2時間くらいの尺の映画などとは全く違う構造を持っている。1時間ごとに、つまり、きっちり、1時間ごとに次の話につなぐ引っ張りをつくらなければならない。

どこで引っ張りを入れてもよい映画とは、基本的に考え方が違うのである。そこにエピソードが邪魔をするというハンディを抱えると、番組はドラマづくりと言うより、パズルの組み合わせを考えることに堕してしまう。

10回から13回、つまり、連続ドラマが3ヶ月で終わるというのは日本独自の事情である。スポンサーや編成局の要請からこの形が生まれた。

多額のお金を使ってつくったドラマの成否は(作品の善し悪しのことではなく。視聴率上の事である)第1回の放送ですべてが分かる。第1回に視聴率の悪いドラマが、その後、浮上することはほぼ、ない。

つまり、視聴率の悪い枠が13週続くことになる。逆に言えば視聴率が悪くても13週我慢すれば終わる。そういう事情でドラマは13回で一区切りなのである。

「半沢直樹」(TBS)のように、大ヒットすれば編成局は「第2弾を」との矢の催促となるが、役者の方は意外と、その役のイメージに固定されて、他の役が出来なくなることを嫌う。先のスケジュールが決まっている売れっ子ほどその傾向がある。

13回というのは世界の番組と比べて、放送回数がきわめて少ない。

欧米諸外国ではそもそも1話完結で、当たれば何シーズンでも続ける「水戸黄門タイプ」のドラマが主流である。だから短く終わってしまう日本のドラマは、秀作も沢山あるのに外国には販売しにくい。アニメの方が販売しやすい。もちろん、外国のテレビドラマも、日本の地上波テレビの編成にはめにくい。

つまり、日本のテレビドラマは、ガラパゴス化しているのである。

 

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