<新聞にできてグーグルにできないこと>紙メディアは想像力を拡張させる圧倒的な優位性を持っている


藤本貴之[東洋大学 准教授・博士(学術)/メディア学者]

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新聞の発行部数の低下が著しい。この1年間で、読売新聞は60万部減、朝日新聞は44万部減。その他の主要新聞ものきなみ大幅な部数減となっている。

新聞の急激なニーズの低下は、普段の生活の中でも体感できる。通勤・通学の電車内で新聞や雑誌を広げるという光景はめったにお目にかかれない。その代わりに多くの人がスマートフォンを覗き込んでいる。

ゲームやSNSに興じている場合もあろうが、ニュースを読んでいる人はかなりの割合になるだろう。特に、若い世代を中心に、ニュースとは、新聞やテレビからスマホを介してインターネットのニュースサイトから入手する方法へと完全にシフトしているように思える。

インターネット検索=グーグル時代の今日、情報は爆発的に増加し、スマホのような手軽な高機能なデバイスによって、これまで以上の多くの情報を簡単に入手できるようになったと言われる。ニュースでさえも、そのような「ググる」対象として位置づけられているのだろう。

しかし、グーグル以前に比べ、今日の私たちは、本当にニュースや情報をより多く、効率的に入手できるようになったのだろうか? 冷静に考えてみると、これが実に怪しい。むしろ、私たちが入手できるニュースや情報との接点は、従来よりも明らかに小さくなっているからだ。

例えば、新聞を広げ、なにがしかの記事を読む場合、その記事を追う過程で否応なしに「興味がない記事や情報」も目に入る。それが広告なのか、写真なのか、むずかしい数値なのかはさておき、絶対に「意図しない他の情報」が目に入る。

そういった、意識していない情報、読者の意思や関心の外にあった情報が目に入ってくる状況。これが往々にして「期せずして読む」「意図していないのに知る」という「未知の情報への接点」を生み出してきた。

このような意図しない「未知の情報との接点」こそ、人間にとっては知性を拡張させる重要な情報源だ。自分の興味関心だけでつながった情報や知識は偏狭であり、広がりを持たない。もちろんそれらでは新しい着想や発想、ブレイクスルーも起きづらい。

それに対し「情報との接点」を意図せずに発生させることは、新聞を中心とした紙メディアが持つ最大のメリットだ。グーグルにはない圧倒的な優位性といっても良い。インターネット上にどんなに膨大な情報があろうが、私たちが接触できるのは、結局、検索に利用したキーワードに関連したことに限られる。その意味では、ネットの広大な情報空間とは裏腹に、グーグルが抽出してくれる情報は極めて局所的だ。

ネットメディアでも「関連リンク」のような形で、他情報への広がりはあるが、それらはあくまでも「リンク」であって、クリックやタップという行為を「わざわざ」しない限り、目に入ることはない。

そもそも、関連リンク自体が、「それを読ませたい、クリックさせたい」という製作者側の意図や戦略の賜物にすぎない。それは、筆者自身、ニュースサイト「メディアゴン」(http://www.mediagong.jp)を主宰しているからこそよくわかる。

インターネットとその検索システムによって、私たちは膨大な情報を獲得できるよになったかに見える。しかし実態はそうではない。むしろ情報の接触率は、図書館を徘徊し、新聞を無目的にめくる時に意図せずに情報が目に入ってくる状況の方が、グーグル検索よりもはるかに大きい。

単純な例をあげよう。図書館や書店で必要な資料を探すとしよう。その時、私たちは、膨大な書棚から手と目を使って資料を探し出す。もちろん、その過程で、最低でも上下左右にある書籍、あるいは目的とする書棚に行くまでの経路において、否応無しに膨大な資料を目にする。タイトルや背表紙だけあっても、だ。

それが「未知との遭遇」を生み、新しい情報を私たちにもたらし、「新しい発想や知見」を生み出す源泉となる。それこそ紙メディアが持つ私たちの知性と想像力を拡張させる、WEBメディアに対する圧倒的な優位性と言ってもよい。

一方でインターネットではどうか。確かに、図書館や書店を徘徊する手間は省け、必要となるキーワードさえ明確であれば、その信憑性はさておき、迅速に多くの情報を簡単に入手することができる。しかし、図書館や書店を徘徊する時のような、不可避的に目に飛び込んでくる「意図しない無数の情報」との出会いはない。

新聞や雑誌といった紙メディアがネット化を推し進め、生き残りをかけた大きな変革を迎えている今日。紙からスマホを中心としたネットメディアへの変換を迅速に完了させねば、メディアや報道機関としてのニーズが著しく低下ゆくだろうことは誰の目にも明らかだ。

もちろん、スマートフォンで手軽にネットにアクセスし、簡単に必要なニュースや情報を獲得できる環境が、私たちの情報生活にとって素晴らしいことには疑いはない。しかしその反面で、私たち人間自身の知的な向上や発展の要素となる「予期せぬ新しい知識」の獲得という重要な可能性とチャンスは急激に低下している。

「予期せぬ新しい知識」との出会いこそ、想像力の源泉である。そして「想像力」こそ、資源を持たない私たち日本人にとっては、最大の武器である。既知の情報だけを頼りに検索することや、サイト製作者の意図にそって埋め込まれた関連リンクを辿るだけでは知性は広がらない。

もちろん、新聞のようなニュースメディアがWEBですべきこと、実現できることは無尽蔵にある。旧態依然と言われがちな紙メディアも、臆せずにそういった場面にどんどん切り込んでゆくべきだ。しかしながら、ニュースメディアが無目的に、あるいは機械的に「右へならへ」とWEBメディア化することには少なからぬ不安は残る。現在の紙メディアは明らかにそのバランスを欠いているように見える。

新聞を中心とした紙メディアは、今だからこそ、紙でできること/紙ですべきことを理解し、それとWEBですべきことを明確にわけた取り組みをすることが必要ではないだろうか。

紙メディアに期待されている役割は、当事者たちが考えているよりも、はるかに大きいはずなのだから。

 
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藤本貴之(ふじもと・たかゆき) 東洋大学総合情報学部・教授(情報デザイン論・メディア構造論)/北陸先端科学技術大学院大学・教育連携客員教授/藤本情報デザイン事務所・執行役員/JAGDA正会員/最先端のメディア研究・メディア技術の知見から、アカデミズムの枠を超え、企業や自治体などを対象としたメディア設計や情報発信戦略など、数々の実践的なプロジェクトを手がけている。主な著書に『だからデザイナーは炎上する(中央公論新社)』『情報デザインの想像力』『脳にアイデアを思いつかせる技術(講談社)』『映像メディアのプロになる!(河出書房新社)』など、多数。