<誰も言わない謎>なぜフィギュアスケートは音楽と演技が合っていないのか?


保科省吾[コラムニスト]

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ほとんどのスポーツは「私を見て」「俺を見ろ」という主張をするものだ。いや、全てのスポーツがそうであると言っても良いだろう。

その中でももっとも「私を見て」感が強いのはフィギュアスケートだ。だが、筆者はこのフィギュアスケートには、常々違和感を覚えてきた。その結果、見ていてもまったく面白くないのだ。

その最大の理由はひとつは、「音楽と振り付けが合っていないから」である。

およそ、踊りの振り付けはメロディの情感や歌詞やリズムを表現している。ヒップホップでも、民謡でも、日舞でも、レビューでも、フィギュアスケートにもっとも近いと思われるクラッシックバレエでもそれは変わらない。白鳥の湖の登場シーンでも、瀕死の白鳥でも、それを表現しているのは誰が見てもわかり、その表現力の巧拙を楽しむ。

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しかしながら、フィギュアスケートには、そのような感じはしない。選曲も、コンセプトやセレクションの意外性などが話題になるばかりで、音楽と振り付けがあっているかどうか、はあまり重要視されていないようにも感じる。

もちろん、フィギュアスケートは「踊り」ではなくスポーツだ、という反論もあるかも知れない。だが、スポーツであっても音楽を使うものは多い。新体操も、シンクロナイズドスイミングも音と動きがシンクロするところは見所だ。

ところが、フィギュアスケートは動きと音楽がちっとも合っていないように思える。そこが筆者には気持ち悪いのだが、誰も口に出しては言わないが、そう思っている人は少なくないはずだ。

気持ち悪いのは動きが「流れる」からである。しかし、それは氷上を滑っているのだからしょうがない、とも言える。

そもそも、動きが流れないようにするに、踊りには必ず「点」を入れられる。
「点を入れる」とは、動かない点を体の中に作ると言うことである。どんなに流れるような動きをしているときでも、たとえば、指先と肘と肩には「点を入れる」、などだ。そして、その「点」がうまく組み込まれた踊りが、「上手な踊り」というわけだ。

しかし、フィギュアスケートの振り付けには最後の決めポーズ以外には「点」らしきものが入ってない。この筆者の感想はスポーツを知らない者の見方なのだろうか。音楽に合わせるのであれば、3回転スピンとか、技にあわせて音楽を作れば良いのに、とも思う。

曲の解釈(Interpretation)にも、点が入ると言うから、何でもどの音楽でもありというのはおかしい気がするが、そういうものらしい。

回転ジャンプをする時には、「ドゥルルルル〜」というような音楽を流した方が、動きとマッチして、キマっているように思うのだが。

 

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メディアゴン 編集部

メディアゴン編集部(めでぃあごんへんしゅうぶ)2014年5月末日、東京生まれ。メディア批評・メディア評論に特化したメディア専門家によるメディアニュースサイト。キー局プロデューサー、ディレクター、イベントプロデューサー、放送作家、大学教授、評論家、ゲーム作家、弁護士・・・などなど、メディアの第一線で活躍する人材が活動中。