「市場」には適応はすべきだが、適応し過ぎてもいけない[茂木健一郎]


茂木健一郎[脳科学者]

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「市場」というのはとても大切な存在で、自分を磨き、育てようと思ったら、過酷な市場の中に身を置くしかない。その中で切磋琢磨され、批判され、比べられて、それでもがんばることで、何かが育っていく。

もちろん、ニッチ(ひだまりのようなもの)を見つけることも大切だが、そこに隠れて嵐をやり過ごしているだけだと、自分の芯の中の何かが、磨かれずにだんだん曇っていってしまう。だから、市場の嵐に身を晒す覚悟は、いつもなければならない。

しかし、市場は一種類ではないことも事実である。いわゆる「メジャー」なものの背後にある感性が、自分の魂と相容れないこともある。それは、若いときにはしばしば起きる現象だ(いや、人生のベテランになっても同じなのだが、単に感性が摩耗して忘れてしまうだけかもしれない)。

だから、私たちは、二つの種類の勇気を持たなければならない。

一つは、市場の嵐に身を晒して、その中で磨かれ、選択される勇気である。もう一つは、その時々の市場の横暴にかかわらず、自分の魂を貫く勇気である。

難しいのは、市場の中で戦う勇気と、自分の魂を貫く勇気が、往々にして両立しないことだ。難しそうで実は容易なのは、市場の圧力に負けて、自分の魂から離れたふるまいをすることである。結果としてその人は成功を得るかもしれないけれども、長い目で見ればその人のためにも、市場のためにもならぬ。

【参考】あなたは自分で課題を設定し、自分で締め切りを守れるか?[茂木健一郎]

河合隼雄さん(心理学者/京都大学名誉教授/元文化庁長官・1928〜2007)とお話したとき、「自分の中心を外さない」ことの大切さを聞いた。市場の厳しさに身を晒すことはどうしても必要だが、その際、「自分の中心を外さない」ことを続けられれば、その人は、自身にとっても、世の中にとっても、一つの福音となる。

別の見方をすれば、適応というものの二面性である。適応はすべきだが、適応し過ぎてもいけない。特に、市場に合わせることを適応と言うならば、みんなが適応することは、単に複写を多数生み出す結果になることも多い。

希望が持てるのは、爆発的にヒットするものは、必ず、鋭利なオリジナリティを秘めているということだ。市場に逆らうことが、結果として市場ではやされ、市場を拡大することにつながることもある。そこにこそ悪夢と夢が交錯する創造の場があると言えるだろう。

(本記事は、著者のTwitterを元にした編集・転載記事です)

 

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茂木健一郎

茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)脳科学者。株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所上級研究員。1962年10月20日、東京生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程終了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を出て現在に至る。「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究するとともに文芸評論、美術評論にも取り組んでいる。