ギャンブラーだからこそ「カジノ解禁法案」に反対する

社会・メディア

保科省吾[コラムニスト]
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筆者は「カジノ解禁法案」に反対する。
12月2日、議員立法による「カジノ解禁法案」が衆院内閣委員会で可決した。カジノには様々な利権が群がることが容易に予想できる。これ以上民主主義がコントロールできない強欲資本主義を合法化してどうするのか、という思いである。
筆者はギャンブラーであるが、「カジノ解禁法案」に反対する。
例えば、筆者の好むギャンブルは競艇であるのだが、競艇のレースは時間が来れば夕方には終わる。やっていない日もある。昔は競艇場に行かなければ舟券を買えなかった。昨今ネットで買えるようになったが、レースは、当然、夜中もずっとやっているわけではない。
そのため、休みが間に入ることで少しは冷静になれる。それでも依存症からはなかなかヌケきれないが、冷静になれる時間があることで、制御できている部分は決して小さくないだろう。
ところが、である。カジノにはそんな冷静になれる「休み」がない。ラスベガスであれ、どこであれ、カジノは夜通しやっている。別の見方をすれば、夜通しやらないカジノなど魅力的でないのかもしれない。
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確かに、24時間やっている派手なカジノは面白い。面白いが、たまに外国に行った時に、観光気分で手を出すくらいでちょうど良い。そんな遊びであるべきだと思う。しかし、そのカジノが日本に出来てしまったらどうか。毎日行く人は必ず増えるはずだ。
もちろん富裕層だけが行くわけではない。ギャンブルは明日食べ物を買う金が1000円しかないとして、その1000円を全部賭けてやるのが最も面白い。富裕層が1億負けようが10億負勝とうが、全財産1000円を掛けてやるギャンブルのおもしろさにはかなわないのだ。
「勝ってやめられる」のがギャンブルではない。そして「負けてやめられる」のがギャンブルでもない。一度ハマったギャンブルそのものを、すんなりとやめられるような強い人間は多くはない。
というわけで、もし日本にカジノができれば、まちがいなく依存症は増える。そして、それが新たな社会問題になることは目に見えている。
 

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