立ち上げメンバーとして語る・TBS『はなまるマーケット』の終了〜オウム事件の反省からの17年


高橋秀樹[放送作家]
2013年11月7日

 

オウム事件の反省から始まった「はなまるマーケット」が17年の幕を閉じた。

TBSテレビ「はなまるマーケット」の立ち上げ、育てたものとして、その成立過程と番組のコンセプト、製作方針を書き残しておきたい。

1989年10月26日、TBSのワイドショーのスタッフは、弁護士の坂本堤がオウム真理教を批判するインタビュー映像を収録、その映像を放送直前にオウム真理教幹部に見せたことが発端の一部となり、坂本堤弁護士一家殺害事件や一連のサリン事件が発生した。TBSはことの経緯を検証する番組を放送、その後上層部の判断ですべてのワイドショーと呼ばれる番組を打ち切った。その際8時半からのワイドショー枠の代替番組としてスタートしたのが「はなまるマーケット」である。

上記の成立過程を受けて番組の第一コンセプトはすでに決まっていた。「ワイドショーではないこと」である。この、通常はありえない否定のコンセプトの元、肯定のコンセプトを作るべく、急遽4人のプロデューサー、僕を含む2人の放送作家が集まった。

筆頭のプロデューサーは、抜群のキャスティング力を発揮して女優・岡江久美子と、元シブがき隊の薬丸裕英を迎えた。僕は薬丸裕英の起用に反対だったが、薬丸が、意外な家事好きであることがわかり、考えを変えた。

内容のコンセプト作りの前に行ったのはスタッフ・出演者体制のコンセプト作りである。出演者のコンセプトは次の様なものだ。

  • 「出演者は岡江久美子より全員年下であること」
  • 「曜日レギュラーはすべて子ども夫もいる女性であること」
  • 「リポーターという呼称は、ワイドショーを連想させるので使わずアナウンサーと呼ぶこと(この呼称をTBSの社員ではない外部出演者に使うことにはアナウンス部から異議が出て、はなまるアナという中途半端な呼称になった)」
  • 「よって、はなまるアナは地方局でアナウンサー経験のあるものに限ること」
  • 「はなまるアナはディレクターが調べたことをただ伝えるのではなく、自らもスタッフの一員になって情報を調べクルーのなかで当該情報に最も詳しい出演者になるように努めること」

そしてスタッフについてのコンセプトも決めた。

  • 「内容の責任者となる第2プロデューサーより年上の社員スタッフは入れないこと」
  • 「女性スタッフの比率を3割以上にすること」
  • 「それぞれのプロデューサーは分業ではなく分担制とし、ほかの分担の否定的な意見は慎むこと」

このようにして、『はなまるマーケット』の制作体制が着々と作り上げられていった。

スタッフ・出演者体制のコンセプト作りが固まり、内容のコンセプトも決まって行く。筆頭プロデューサーは、「病院の待合室でも安心して見られる内容にすること」を打ち出した。

ほかにも、

  • 「テレビは時代と寝ることは当たり前だが、あだ花のような時代の突出物には飛びつかないこと」
  • 「芸能スキャンダルにはいっさいふれないこと」

などが合意された。その中で僕が提案したのは「何も考えずに出演者は番組に来ることがあっては決してならないこと」であった。これを実現するために番組冒頭に岡江と薬丸のフリートークコナーが設けられた。最低5分、ここでは2人が台本に頼らず身辺雑記を話し合う。2人はこの要求にこたえて毎日話すことを自分で考えた。番組冒頭は刺激的なVTRで始めるのが、常套手段であったが、これとまったく反する「ゆるいトーク」は視聴者に支持され、視聴率の折れ線グラフはぐんぐん上って行き、コーナーの尺は最大で10分ほどになった。

解体からのスタートだったからだろうか、これらのコンセプトは、奇跡のごとくすべてかなえられた。

このコンセプトが、見事に守られたことで、僕は番組の成功を80%確信した。その前に70%の成功を確信したのは岡江、薬丸と会ったときである。この2人は決して「人に嫌われることがない」「見ていて嫌ではない」。それは毎日やる番組では相当大切なことだ。

第1回の台本に、筆頭プロデューサーの許可を得て次のような趣旨の巻頭言を書かせてもらった。

「この番組では、出演者、スタッフ含めて全員が仲間です。テレビをご覧になっている方々が、私もあの仲間に加わりたいと思える番組にしたいと思います」

こうして17年続いた番組は、当初掲げたコンセプトを守り続けられたのだろうか。

僕は、NHKが裏ではじめた「あさイチ」が、すべてのコンセプトをさらって言ったような気がしてならない。