<わからないけど面白い>ドラマ「ゆとりですがなにか」は視聴者に何を伝えたいの?
河内まりえ[ライター]
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以前、筆者は「ゆとりですがなにか」(日本テレビ)について、視聴者に何を伝えようとしているのかつかめないと書いた。(ドラマ「ゆとりですがなにか」に感じるリアリティに欠ける違和感:https://mediagong.jp/?p=17074)
それでも最終話まで観たわけだが、結局、何を伝えようとしているかよくわからなかった。最終話の放送が終わってから約一週間、何度も見直してみたが、やはり、このドラマが何だったのかよくわからなかった。
「よくわからない」とはいえ、おもしろくなかった訳ではない。「ゆとり世代」というキーワードだけで、ラストまで話を動かせるのか心配していたが、その心配も杞憂に終わるくらいおもしろいドラマではあった。
おもしろいのは最初だけで、失速してしまうのではないかという懸念もあったが、最後まで最初の勢いを保ったまま走り切ったドラマだったといえる。
【参考】ドラマ「ゆとりですがなにか」に感じるリアリティに欠ける違和感
一話の中に何回も笑える展開やセリフがある。普段だったら、下品に聞こえるような言葉と思える「童貞」や「おっぱい」といった単語を登場人物たちに、テンポの良いセリフの中で連呼させ、明るい下ネタとして笑いとる。
特に、ゆとり世代を演じた登場人物たちの演技が自然体で良かった。中でも松坂桃李(山路一豊役)は今までどちらかというと真面目な役の印象の強かったが、本作では女性に弱いという一面があったり、仕事の愚痴を泣きながらこぼすという情けない役を好演している。
最終話、坂間正和(岡田将生)が、結婚式の行列の途中で、突然、「このまま神様の前に行けない」と言うと、列を離れ、婚約者の宮下茜(安藤サクラ)の前から姿を消してしまう。宮下の一度だけの不倫相手、早川道郎(手塚とおる)を殴りに行くためだ。
ここで、筆者が以前、ドラマの歌詞とリンクしていないと指摘していた主題歌、『拝啓、いつかの君へ』(感覚ピエロ)の象徴的な歌詞「あんたの正義は一体なんだ」が生きてくる。最後の最後でやっと正和の正義が何だったのか明かされる。
「ゆとり世代」というキーワードを上手く使い、最後まで笑いが止まらないドラマであった。しかし、それでもやはり、このドラマが何だったのか。筆者にはよくわからなかった。面白かったんだけれど。
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