<「プロ若者」って何?>なぜ、20歳の大学生は小学4年生になりすましたのか?
藤本貴之[東洋大学 准教授・博士(学術)]
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NPO法人代表の大学生が、小学4年生になりすまして、サイト「#どうして解散するんですか?」を立ち上げるも、発覚したいわゆる「小4なりすまし問題」。
「メディアゴン」において、千葉県・我孫子市議の水野ゆうき氏が、一般市民を装いプロ的な政治活動を担う「プロ市民」に対して、「プロ若者」という表現で言及している。
一般的な若者を装いつつ、一般的な若者像から逸脱したプロ的な政治活動や経済活動などをする「プロ若者」の存在。これは、今回の問題を考える上で非常に重要なキーワードであるように思う。
まず、「プロ若者」の定義について考えてみたい。
社会には「素人である」ということで、大衆的な指示が得やすい分野がある。プロであるよりも、素人であることを強調したり、素人の側に立つことで影響力を行使できる場面は少なくない。例えば、消費者問題や地域問題は、「いかにも職業活動家」である人の言動よりも、素人の地域住民の声の方がリアリティがある。政治でも、主婦層をターゲットにしている候補などは、「主婦(=素人)の声を政治に!」的なアピールをする。
若者や大学生も同様だ。「大学生である」「若さ」ということが持つ特権やイメージは貴重で尊い。大人や社会はそういった「若者」に対して、積極的に支援したり、応援しようとする。メディアも若者のがんばりに対しては常に肯定的である。
しかし、「プロ若者」とはそのメカニズムを狡猾に利用する層であるように思う。「若者」の持つイメージを最大限利用して、支持や応援を得、それを「プロ的」な活動に利用する、というイメージだ。もちろん、失敗や失態をしたとしても「まだまだ若者ですから・・・」と温かく見守られるというおまけ付きで。
さて、そういう観点から今回の「小4なりすまし問題」を見てみよう。
大学生が小4になりすましての政権攻撃が「卑劣な行為」と批判される一方で、「炎上マーケティングを利用したに過ぎず、目くじらを立てて叩くのは大人げない」「既に首謀者学生は反省している」的な論調も散見される。
しかし、今回の問題の本質は、「なりすまし」という詐欺的行為の是非や道義性の重軽にではなく、「プロ若者」の存在とその狡猾さが露呈したことにあるように思う。
「なりすまし」や「自作自演」といった行為は、どこにでもある。自分のことを誉め称えるコメントを自分で書き込んだり、自分に批判的な意見に対して自分でフォローコメントをする・・・。ネット・オピニオンの世界では珍しくない。特に、ネットを駆使する若者たちの「悪ノリ」的な戦術としてはよくある話だ。
だが、今回の問題では「小4になりすました炎上マーケティング」という「悪ノリ」だけでは理解できない部分がある。
例えば、彼の生年月日はネット情報によれば、
1994年3月9日生まれ(20歳)
であるという。つまり既に成人である。選挙権もある。小4になりすます必要は全くないはずだ。「若者の意見を届ける活動」なのであれば、成人である彼が未成年の代弁者として正々堂々とやれば良いし、そういう活動だったできたはずだ。
しかし、当該学生がとった戦術は「小4なりすまし」だった。20歳よりもインパクトと破壊力のある年齢として小学4年生を設定した、と勘ぐられても仕方が無い。ただ気になるのは、サイトと一連の動きが、素人目に見ても「小4の仕事ではない」ということが明白だったことだ。
このように考えると、さらなる勘ぐりもできてしまう。
「小4なりすましサイト」でメディアの注目を集め、仮想通貨ビットコインの謎の開発者「サトシ・ナカモト」のように「覆面プランナー」として話題を沸騰させ、ある段階で「実は首謀者は僕でした」ということを発覚させる・・・というカリスマ大学生としての知名度を高めるためのプロモーション戦術だったのではないか、と。
当該学生の見識からすれば、「代表を務めるNPOによるドメイン取得」「演技であることが丸わかりの文章」などといった、簡単に正体を勘ぐられるようなドジは踏むことはなかったのではないか。少なくとも、「ねつ造を疑われても、最終的には犯人が特定できない」というぐらいのことは容易にできたと思う。むしろ、サイトを作り込むあれだけの計画性があるのに、「ドメイン取得者の名義をうっかりNPOでしてしまった」などという説明は合理的ではない。
「少しずつバレる」ことを想定しているとしか思えない設計。組み合わせれば、比較的容易に「当該学生(あるいは代表を務めるNPO)」にまでたどり着くことができる簡単なパズルという実態。
以上を踏まえて、ちょっと冷静になって考えてみると、
「なるほど、これが『プロ若者』のテクニックか」
と思わず納得できてしまう。
さて、今回の問題の考える上でのポイントは、未熟な戦術によって「プロ若者」の存在が露骨に見えてしまった、という残念感である。
ネット世論・ネット市民は、この数年で急激に成熟しつつある。これまでネットなど相手にもしなかった大メディアや大資本が次々とネットメディアとのパートナーシップをとっている。今回の出来事は、成熟しつつある我が国のネット世論、ようやく一人歩きを始めたネット戦術でがんばる無数の「本物の若者たち」の活動に対しては明らかなマイナスだ。
「所詮、ネットは・・・」といったネット世論否定感が再び盛り上がったり、若者たちの意見表明や情報発信への不信感が蔓延しなければ良いと切に願う。
もちろん、今回の問題は当該学生だけに責任があるのではない。未熟な「プロ若者」の影響力(人気)にあやかろうとすり寄った大人たちの存在も反省すべき課題のひとつだ。
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