芸能スキャンダルが報じられない原因は「強くなりすぎた芸能プロダクション」
高橋秀樹[放送作家]
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かつて、フジテレビに『3時のあなた』(1968〜1988)というワイドショーがあった。
1968年から20年間に渡って生放送されたこの番組は、典型的な「主婦向けの番組」で、高峰三枝子、木元教子、山口淑子、久我美子、芳村真理、扇千景、森光子、寺島純子、司葉子三田佳子、坪内ミキ子、中村メイコ、加茂さくら、うつみ宮土理といった女優陣が司会を務めていた。
1970年代以降は、前田忠明、東海林のり子、福岡翼ら、個性の強い芸能レポーター陣を配して、スキャンダル中心の芸能・凶悪事件レポートが主な内容であった。1985年の「日本航空123便墜落事故」に際し、寺島純子さんが「遺族は悲しみのズンドコに」と間違えた話は有名である。
『3時のあなた』の裏番組として強力だった番組には、TBSの『3時にあいましょう』(1973〜1992)があった。後発ではあるが1973年から始まり、やはり、20年間に渡って生放送された。司会陣には船越英二、野際陽子、毒蝮三太夫、天地総子、伊丹十三、五十嵐喜芳、野村泰治、三雲孝江、城戸真亜子、蓮舫などの名前が見える。
鬼沢慶一、みといせいこ、桂菊丸らといった『3時のあなた』にも負けず劣らずの「あくの強いリポーター陣」。内容もやはり、凶悪事件・スキャンダル中心の芸能情報中心であり、長年に渡り『3時のあなた』とともに熾烈なスクープ合戦を繰り広げた。
『3時にあいましょう』と『3時のあなた』の両番組は「チキンレース」を行うこともさえあった。例えば1983年、建築家・黒川紀章と前妻の離婚が成立し、交際していた女優・若尾文子との結婚会見の生放送だっだ。若尾も再婚であり再婚者同士、共に50歳を超えての結婚とあって、話題は沸騰した。会見場からの生中継は「先にCMを入れたほうが負け」である。どちらもCMを入れず、ギリギリまで踏ん張った。
3時に始まる両番組のために、「芸能界の新ルール」も出来た。報じて欲しいPRや結婚などのニュースは「3時まで」に間に合わせる、というものだ。ちなみに、故・美空ひばりさんの出棺は3時であった。
逆に、伏せたいニュースはワイドショーが終わった金曜午後に発表する、という「逆のルール」も生まれた。ワイドショーに配置された芸能デスクと、芸能プロダクションはウィンウィンの関係を結ぶようになっていたのである。
やがて、『3時にあいましょう』は、1992年に『スーパーワイド』(1992〜1996)と名前を変えてリニューアルされたが、この後継番組はすぐに終了してしまう。「オウム事件」のアオリを食らったのである(オウム真理教による「坂本堤弁護士一家殺害事件」の原因とされた「TBSビデオ問題」で、当時、TBSはワイドショー番組から撤退した)。
こうして、両番組を並べてみると、ワイドショーとしてのあり方や内容もさることながら、司会者から扇千景、蓮舫という女性国会議員を一人ずつ生んでいるところも興味深い。
さて、『3時のあなた』と『3時にあいましょう』が始まった頃、筆者の仕事の中心は「バラエティ」であった。その当時は、後に自分が「ワイドショー」をやることになるとは、つゆほども思っていなかったためだろうか、「ワイドショー」を憎んでさえいた。
「芸能人を使うなら芸を見せるのがテレビだろう、スキャンダルで飯を食うな」
という思いがあったからだ。
この思いは今も変わらないので、筆者が「ワイドショー」を担当する時は、必ずこの主張を繰り返してきた。しかし、これはもう繰り返さなくてもいいのかもしれない・・・と思うようになっている。理由は、芸能プロダクションが強くなりすぎたため、今ではスキャンダルさえ正面からは報じられなくなっているのである。
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