<テレビの病巣>上手な嘘がつけない最低なディレクターの存在

テレビ

メディアゴン編集部
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フィクション(ウソ)を基本とするドラマや劇映画の場合、「上手にウソをつく」ことが演出の要諦だ。SFであれファンタジーであれ、実在のモデルが存在するものであれ、「上手にウソをつい」ていれば、観客は気持ちよくそのウソにだまされて見続けることが出来る。
すぐれた作品は「上手にウソをつい」ている。
優れた「ウソをつく」ためには「大きなウソ」をつかねばならない。ストーリーの都合だけ考えた行き当たりばったりの「細かいウソ」は、ドラマの大きな傷になる。トールキン『指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)』のような大河ファンタジーは、空想の世界を、作者の計算力と想像力で、実際に存在するかのごとき緻密さで作り上げてしまう「大きなウソ」だからこそ、面白いのだ。
その是非はさておき、「大きなウソ」は実際の社会を動かすことさえある。例えば、マルコポーロは行ったこともない日本(ジパング)の訪問記を「東方見聞録」に書いたが、この「大きなウソ」は時代を動かし、後の大航海時代にも大きな影響を及ぼし、世界を変えていった。
【参考】<出演者の指摘で発覚>TBS「ピラミッド・ダービー」CG処理までするヤラセ番組
一方で、「細かいウソ」では、失笑に部類する瑣末な笑い以上の満足を得ることは難しい。「驚くシーン」で驚いた演技しかできないような役者の存在も同様だろう。こういう役者を起用した場合、得てして駄作となる可能性が大きい。
では、ノンフィクション(ホント)はどうだろうか。例えば、ノンフィクションを基本とする作品の要諦は「上手にホントを作る」ことである。
もちろん、ここで勘違いして欲しくないのは「ホントを作る」とは、事実をねじ曲げて「ありもしない事実」を捏造することではない。「上手にホントを作って、ホントにする」ことだ。
テレビは「部分を切り取る」ことに長けたメディアであるが、全体像を見せるのは苦手だ。その場合、収録では描ききれなかった映像を挿入することや、フリ・こなし・フォローの流れの中でうまくいかなかったシーンをカットすることなどだ。これらは「上手にホントを作って、ホントにする」ことである。繊細さも求められる非常に難しい仕事だ。
しかし、そこで安易に「ホントをねじ曲げて下手なウソ」をついてしまえば、途端に面白くなくなってしまう。最近では、インターネットの存在が、「下手なウソ」「細かいウソ」を直ぐに見やぶり、その事実を瞬時に拡散させてしまう。
しかも、面白くないばかりではない。それは、作り手の側にも大きな影響を及ぼす。ホントに面白い作品を作ろう、魅力的な作品を作ろう、としている人たちに現場責任者たる演出家が「細かいウソ」を指示し、求めることは、苦痛を生むからだ。
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こんな話がある。
かつて日本一の視聴率を誇っていた「びっくりネタ」を紹介するテレビ番組で、編集マンをしていたある技術スタッフがいた。この編集マンは毎日毎日、ディレクターに命じられて「光るテグス」や「ピアノ線」の痕跡を映像から消す作業をさせられていた。先日、CG処理までした捏造が問題となったバラエティ番組『ピラミッド・ダービー』(TBS)と似たような話だろう。
ある日、この編集マンは「僕には、この仕事はもう出来ない」と言ってその仕事を辞めた。
この編集マンは、なぜ辞めたのか。もちろん、嫌な思いをしたからこそ辞めたわけだが、その苦痛を想像することができなかったディレクターが辞めさせたとも言える。そしてそんなディレクターこそ「ホントをねじ曲げて下手なウソしかつけない」最低の演出家なのだ。
最近、テレビ番組での捏造問題やヤラセ疑惑が話題になることが多い。多くの真面目で優秀なディレクターやプロデューサーがいる中で、「ホントをねじ曲げて下手なウソしかつけない最低の演出家」も、少なからずテレビ業界に生息していることも事実。
「ホントをねじ曲げて下手なウソしかつけない最低の演出家」という病巣を直視し、それを速やかに摘出することが、凋落著しいと言われて久しい現在のテレビに求められる最重要課題だ。
 
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