<今だからこそ振り返る>放送作家として22年担当した「さんまのスーパーからくりテレビ」が終わる

高橋秀樹[放送作家]
2014年7月5日

 
1992年4月に始まったTBS『さんまのスーパーからくりテレビ』が、2014年9月で終了する。著者が放送作家として22年間担当してきた番組である。
当初、視聴率は低迷し『からぶりテレビ』と揶揄された。
視聴率が上がり始めたのはアメリカABCの番組『America’s Funniest Home Videos』から、アメリカ版のホームビデオの供給を受けるようになってきてからだ。
アメリカ人の撮るビデオは数が多いうえに、中には、明らかにやらせで撮ったビデオや、こんなに食べこぼしを放っておくのは子供の虐待ではないかと思えるビデオもあったが、そういうものは丁寧に排除して、放送した。そうこうするうちに日本国内からの応募ビデオも質が上がってきた。
やがて視聴率は安定し、1時間番組に枠大した。
そのころ、尊敬する、日本最高のテレビ見巧者・ナンシー関さんに褒められた。ナンシーさんはこう書いてくれたのである。

ナンシー関「からくりテレビは、日本でだ、ただひとつ笑いをとることだけを目的にしている番組だ」

これは心強かった。
しかし、こう叱られた「笑いの方向が一色である」。見抜かれていた。笑いの方向を決めていたのはSプロデューサーと僕だった。Sプロデューサーと僕は、完全に趣味が合うわけではないが、僕は演出家がやりたい方向にアイディアを出すタイプの作家である。
スタッフが考え出した企画が次々と成功した。「からくりビデオレター」「ご長寿早押しクイズ」「玉緒がゆく」「からくりみんなの!かえうた」「サラリーマン早調べクイズ」「KARAKURI FUNNIEST ENGLISH」…ヒットコーナーにも恵まれた。ボビー・オロゴン、セイン・カミュといったスターも生まれた。
裏番組として始まった日本テレビの『ザ!鉄腕!DASH!!』は全く強敵だと思わなかった。よくある凡庸なバラエティだったからである。しかし、あるとき『ザ!鉄腕!DASH!!』は思い切った。見せよう見せようと力の入りすぎた企画を、つまり、やりに行く企画を中心に据えるのをやめたのである。
中心はDASH村になった。まずいと思った。そのころからくりは逆に「やりに行く企画」に占拠されはじめていたのである。
この時、処置を施せなかった責任の一端は明らかに僕にもある。視聴率は逆転し、大差をつけられた。それでも『さんまのスーパーからくりテレビ』は終わらなかった。
番組には明石家さんまという主人公がいたからである。
 
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