<いまこそ期待>2013キングオブコント優勝「かもめんたる」

エンタメ・芸能

高橋秀樹[放送作家/発達障害研究者]

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「かもめんたる」(岩崎う大:42歳、槙尾ユウスケ:40歳)という二人組のコントユニットがいる。しゃべるコントだが、知性を感じさせて、他の芸人ユニットとは一線を画す。2013年のキングオブコントで優勝した際に演じた「白い靴下」は、不条理さえ感じさせて演劇的である。

かつて「コント55号」のコントは文化人と呼ばれる権威から、「これまでにないサミュエル・ベケット(『ゴドーを待ちながら』)を感じさせる「不条理コント」であると認められたため、一気にブレークしたという経緯がある。もちろん、かもめんたるの勢いの点ではコント55号の10分の1程度ではあるが、そのあたりがコント55号と似ていないこともない。

かもめんたるの不幸はキングオブコント優勝でも、その後が続かない点にあった。つまり、スターにはなれなかった。

その理由は簡単だ。フリートークが出来なかったからである。テレビが求めるフリートークは自分自身の切り売りだが、彼らにはそれが出来ない。フィクションのトークなら出来る。司会も恐らく出来るがやりたくはないのだろう。そのあたりはインパルスの板倉俊之と似ている。インパルスのコントも知性を含んでいたが(あくまでも板倉のみ)、彼らに共通するのは「創作」が好きなことだ。

テレビを舞台にスターになるというモデルはどんどん崩壊しているが、それでもまだまだテレビは強い。フワちゃんやHIKAKINが一般人に認知される有名スターになったのは、テレビに出たからだ。彼ら・彼女らはYouTubeのみのスターでは満足していないのだ。

では、かもめんたるがロールモデルにするべき人は誰なのだろう。

クレージーキャッツやドリフターズはミュージシャンからコントマンになった。クレージーはとくに、アメリカ流の歌と踊りのショウも取り入れた。テレビ番組「植木等ショー」のビデオを見たが、他にザ・ピーナッツや坂本九などの当代一流の日本人ショウマンが出ているのに、MGMのミュージカルには、ほんの少しも届いていない、それでも、日本人は熱狂した。ドリフはコントに特化した。テレビのコントがまだ受け入れられていて人が笑ってくれた時代だ。クレージーもドリフも大メジャーになった。

コント55号のコントは誰も真似できない新しさだったので、そのままテレビが受けいれた。『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』 (日本テレビ)というコント番組にコント55号が出た。当時、アメリカNBCで放送されていたコント番組『ラフ・イン(英語: Rowan & Martin’s Laugh-In)』をモデルにした番組で、今は、絶滅危惧種であるコント作家が書いたショートコントをそのまま台本通り役者に演じさせるのが目的の番組だった。それゆえ、「ゲバゲバ」のコント55号は全く面白くなかった。台本どおりやるのが約束の番組で、アドリブを封じられ(または萩本だけアドリブを許され)たのが、その理由である。

萩本は司会もやったが、フリートークや司会は実は苦手だと自分で気づいていた。ドラマ風の芝居も上手ではないことが分かっていた。それを跳ね返すため、萩本欽一は自分でテレビ番組の企画を考えた。タレントとしての自分だけでなく自分を含む番組企画として、テレビ局に強烈な売り込みをかけた。各テレビ局にはコント55号のコントが好きなプロデューサー、ディレクターが存在した。他人が立てた企画はやらないという禁欲的な方法をとった萩本は、『欽ドン』(フジテレビ)『欽どこ』(テレビ朝日)『ぴったし☆カンカン』(TBS)と次々と番組を成功させた。自分が動けなくなった分は若い役者のちからを借りた。司会には久米宏を抜擢した。大メジャーになった。(役者出身だが関口宏は萩本と反対である。企画力をアウトソーシングした。『クイズ100人に聞きました』(TBS)『知ってるつもり』(日本テレビ)『サンデーモーニング』(TBS)皆、関口のために制作者が提案したものである)

渥美清は40歳の時に「男はつらいよ」に身を投じ、その後、コントには戻ってこなかった。その後はご存知の通り、寅さんとして大メジャーになった。

森繁久弥もコントから映画スターになった。「夫婦善哉」には笑いがない。コメディアンが皆、役者になってしまうのは森繁の成功のせいだと嘆く人がたくさんいた。大メジャーになった。

明石家さんまはテレビではコントをやらない。コントはテレビのコンテンツではないと思っている節がある。年に一度程度のペースで、村上ショージやジミー大西、ラサール石井、松尾伴内らとやる舞台のコント『今回はコントだけ』シリーズのレベルは現時点で日本最高峰である。さんまはさんま独自の笑いの文法を確立しており、それに従う芸人も多いため、スーパーメジャーである。司会者としてはウケとフォローの出来る希有な司会者だと萩本が認めている。ウケとフォローとは、他人のつまらない話を笑いに変えてしまう高等技術のことである。

所ジョージにはコントを書いていた。だが彼はコントを余技だと考えていた。あるプロデューサーは、所の司会は編集せねばならないところがほとんどなく、全部使えると言っている。バラエティの司会者としてはナンバーワンだろう。

タモリは、コントと音楽と、残念ながら踊りではなくトークで、語り継がれるべき名作『今夜は最高!』(日本テレビ)をつくった。ここでの『コントで笑いが取れる時代はもう終わった」との発言が印象に残る。昼の番組に出たので、押しも押されもせぬメジャーになったが、この人のすごいところは、テレビ自体を、テレビに出る自分を卑下していることである。

ビートたけしが、浅草に辿り着いたときには、もう軽演劇の時代は終わっていた。浅草のコントはもう過去の物だった。それで、スタンダップ・コメディアンになった。今も時たま、テレビでコントをやるが、それは、漫画のようなコントだ。芝居ではない。司会者としてはメインの隣で茶々を入れるというポジションを確立して揺るがないように見える。フランスでは、日本を代表する映画監督として評価される存在だ。映画が撮りたいからテレビに出ていると思っていたが、そうでもないところも最近見えてきた。

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ダウンタウンは今、漫才もコントもやらない。漫才については分からないが、コントをやらないのは、動けない年齢になってしまったことを自覚しているからであろう。賢明なことである。動きがないのはコントではない。松本人志の類い稀な発想から紡ぎ出される漫才には、誰も及ぶ物がなく、これを見た島田紳助に漫才をやめることを決意させたほどである。

内村光良は紅白歌合戦の司会者であるが、彼のコント番組『LIFE!〜人生に捧げるコント〜』(NHK)で、笑える人がいるのが、僕には不思議である。コントと正面から向き合えるレギュラー番組を持っているのは内村だけかも知れない。

三宅裕司はそつのない司会者になった。でも、司会の仕事ばかりが増えることには嫌気がさしている。伊東四朗との昭和臭のするコントには好き嫌いがあるだろう。

宮藤官九郎は、朝ドラも大河も書く大脚本家である。

かもめんたるは、今、劇団を組んで芝居をやっている。つかこうへい、東京乾電池(柄本明)、東京ヴォードヴィルショウ(佐藤B作)、野田秀樹、別役実、三谷幸喜と言った名前が思い浮かぶ。どうにかして、大メジャーになれるのだろうか。

かもめんたるには、是非、コント界で暴れ回って欲しい。

 

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