2020年『キングオブコント』の演者はよくしゃべる。
高橋秀樹[放送作家/発達障害研究者]
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コント作家・放送作家として長く活動してきた筆者は、コント界の隆盛を願っている。もちろん、マンザイも落語も好きだし、笑いは何でも好きだ。マンザイも落語も劇も出来はともかくとして、書けと言われれば書くが、やっぱりコントを書くのが好きだ。だから、コントがもっと人気になって欲しい。
ところで、今のところ、コントはマンザイに比べて分が悪い。コントで売れても、大スターの道へは遠いように思う。近頃はちらほらコントの番組も見るようになったが、テレビのコントで笑ってもらえなくなってからも久しい。だから、コントの人もマンザイをやっているのだろうか?
ということで、2020の『キングオブコント』(TBS)である。
まず、素直な感想。9組の出演者はコントをやりながらよくしゃべる。総じて、しゃべり過ぎだと筆者は思う。「ここが笑いどころだ」と示すためにしゃべり、ボケを説明する為にまたしゃべる。こんなにしゃべったら、「君がコンビニの店員だとしよう」と、役をを割り振ってやるマンザイと同じではないかと思う。マンザイと同じで何が悪いかという人もいるかと思うが、やっているのはコントである。
コントは短くても物語(ストーリー)であり、芝居(演技)であると思う。言うなれば演技で表現する短編小説。物語なら、話が前にすすまなければいけないし、演技は上手でなければいけないと思う。さらに大事なのはコントの設定。設定があれば動きは自然と決まる。設定さえ優れていれば、あんなにしゃべらなくてもいいのに。
1回戦9組それぞれの設定を見ていく。
<滝音>ラーメンの大食い大会なのに親切すぎる店員が現れて・・・。大食い大会だとばらしてから、どう動くかが、勝負。どれだけ手数が考えられるか。大食い大会だと分かったらギョーザは持ってこないだろう。それでもギョーザを持ってくるには店員の性格とか何か、見る者が納得できる理由が必要だ。
<GAG>河川敷にフルートの練習に来た女性と、中島美嘉役、草野球の選手、ぶつかると、それぞれの役設定が入れ替わってしまって・・・。帽子をかぶり替えると、役設定が変わるという名作コントがあった。変わり身の瞬間をピークに持っていくのだが、そのときの芝居をもっと練習すべきだ。
<ロングコートダディ>マッチョの作業員と、貧相な作業員。マッチョの作業員は、箱の重ね方に譲れない独自のルールを持っている、だが、その重ね方はどう見ても不合理で・・・。2人とも芝居は上手い。面白いが設定の論理が立ちすぎている。小劇場の芝居だったら、特殊な客に大受けするだろう。世俗的ではなかった。
<空気階段>霊媒師と、死んだおばあちゃんに会いたい男。霊媒師がトランス状態に入ると地域FMの電波が干渉してきて、霊媒師の頭を則ってしまう。違う人が降霊してしまうという設定はよくあるが、これは新しい。鈴木もぐらの風貌は大変コントむきの姿形だ。出ただけで笑えるというのは武器だ。2人とも芝居も上手い。立ち姿が安定している。
<ジャルジャル>競艇場にやってきた歌手。事務所の社長と、観客にやじられても負けずに歌えるように練習するが・・・。1回戦の得点は他組を大きく離してトップ。ジャルジャルの安定感か。ただし、僕はあまり評価しない。冒頭に書いたように、しゃべりすぎだ。彼らはマンザイも出来るから、ミスっても、しゃべりでカバーできてしてしまうのは、良いのか、悪いのか。
<ザ・ギース>新聞販売店を辞めていく初老の先輩、元気づけたい残る新人販売員。さてどうやって・・・。設定があまりにも普通。辞めていく事情、あるいは、元気づけたい理由の方に、もう少し設定を乗っければ、ハープを練習した成果が上がったのに。コント中、棒立ちになってしまうのは避けたい。
<うるとらブギーズ>名人の陶工とその弟子。焼き上がりの作品で「ダメ」なものは割ってしまうがタイミングがずれて「良い」ものも割ってしまう。撃つ撃たないを瞬間的に決めるシューティングゲームみたいなコントだ。設定に、工夫が欲しい。
<ニッポンの社長>下半身が馬の高校生。牛の少女。考えがちだなあ・・・。
<ニューヨーク>披露宴にやって来たやり過ぎの余興をする友達。これは設定ではない。
以上9組からファイナルに進んだのは、空気階段、ニューヨーク、ジャルジャルの3組。ジャルジャルが1回戦で500分の477点も獲得しているので優勝争いはほぼ結果が見えていたが、僕は、空気階段をもう一度見られるので満足だった。
さて、ファイナルの設定。
<空気階段:吉本興業>鈴木もぐら(千葉出身)、水川かたまり(岡山県出身)
定時制に通う清楚な美少女、彼女が恋したのはまるでこまわり君のような体型の、口跡が極端にくぐもっている男だった。僕はまず、鈴木もぐらの登場で笑った。この設定は、さらに深化して、少女がなぜ、醜男に恋したかを教室内の2人の手紙のやりとりで明かしていくことになる。手紙に書いた内容は心のセリフとして、ナレーションされるが、醜男の方はナレーションの声がやはりくぐもっていて何を言っているか分からない、その内容を美少女の芝居で表現する。その、くりかえし。往時浅草の軽演劇のコントで言えば『天丼』というパタンである。このパタンをいい加減に理解してはいけない。繰り返しで笑いを取る場合「3回目には変える」という鉄則がある。「3回目」は、もちろん目安で、いいタイミングで変えるのである。鈴木もぐらのボケは「3回目」以降も同じだった。水川かたまりにも言及しておこう。コントの間中、彼はしゃべらず、清楚な少女の芝居を続けている。偉い。さらに、コントの人は女装をよくするが、その女装が汚い。水川の女装は少なくとも汚くなかった。そこも偉い。スタンバイで待たせてもきちんと化粧をしたのもすばらしい。スタンバイの待ちは、スタジオがつないでやるのが仲間としての仁義だ。
<ニューヨーク:吉本興業>屋敷裕政(三重県出身)、嶋佐和也(山梨県出身)
ヤクザの兄貴と舎弟、舎弟が髪を切りすぎてしまったので帽子をかぶってきたが、兄貴はどうしても見たいという設定。帽子を脱いだら爆笑の髪形になっていなければならないが、引っ張れば、引ッ張るほど、ハードルは高くなる。設定の上の設定、メタ設定。チャレンジングである。だが殺して終わり。というのは、僕は、認めたくないなあ。
<ジャルジャル:吉本興業>福徳秀介(兵庫県出身)、後藤淳平(大阪府出身)
金庫泥棒、相棒が何を思ったか犯行現場にタンバリンを持ってきてしまったので、うるさくて、見つかってしまう危険が・・・。このネタを筆者が書いていったとしたら、恐らくこう言われただろう。
「犯行現場にタンバリン持ってくバカがどこに居るんだよ」
「お前、ネタをやりに行ったら、ダメだって、なんど言ったら分かるんだよ」
「ネタを置きにいってるんだよ。置きにいったネタなんか誰が笑うもんか」
でも、演者はジャルジャルである。ジャルジャルなら、笑ってくれる。もしかしたら、それが現在のコント界なのかも知れない。
因みに審査員は以下である。
<ダウンタウン:吉本興業>浜田雅功(兵庫県出身)、松本人志(兵庫県尼崎市出身)
<バナナマン:ホリプロ>設楽統(埼玉県出身)、日村勇(神奈川県出身)
<さまぁ〜ず:ホリプロ>三村マサカズ(東京都墨田区押上出身)、大竹一樹(東京都墨田区押上出身)
番組『キングオブコント』の方は、単なる有名人づくりを目標にするのではなく、ジャルジャルが見たい、ジャルジャルのコントが見たい、というような大会に育てばいいなあと思う。
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