<決定版・欽ちゃんインタビュー>萩本欽一の財産⑯明石家さんまと三木のり平は優れたコメディアンである。


高橋秀樹[放送作家]

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大将(萩本欽一)は三木のり平さんのことを「のり平先生」と呼ぶ。師と仰いでいるのである。のり平さんと大将の最初の接点は、おそらく「日劇」であるが、正確なところは聞き漏らしている。今度確認しよう。

大衆演劇史において、のり平さんは、

「スターは三船(敏郎)、役者は(三木)のり平」

と称せられ、その演技力は抜群のものがあった。桃屋のCMだけがのり平さんではない。

森繁久彌さんと共演した「社長シリーズ」(1956〜1970の東映の喜劇シリーズ)が有名だが、何かあると「パァーっとやりましょう」という宴会好きの社員の役を代表作だと言われることを、のり平さんは嫌っていた。「あんなの余技でやっただけだから」と。

演出家としても傑出していた。1981年(昭和56年)からは、森光子さん主演の舞台『放浪記』の演出を務めた。キグレ大サーカスの演出も務めており、この時は請われて大将が演出助手となった。

ここまでは、百科事典的知識である。大将が思い出すのり平先生の筆頭は東宝ミュージカルスで「雲の上団五郎一座」の劇中劇「玄冶店(げんやだな)」で、八波むと志さんと組んで演じたコントである。「このコントを一番大切に思ってたのはのり平さんも同じなんじゃないかなあ」と大将は言う。

このコント、歌舞伎での演題は『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)』であり、通称「お富与三郎」「切られ与三」。おなじみの場面は「ご新造さんへ、おかみさんへ、お富さんへ。いやさお富久しぶりだなあ」の名セリフ。

当時はほとんどの軽演劇が長谷川伸らが、書いた時代劇の名シーンをパロディにしたものあった。芝居の骨格がしっかりしているので、いつでもストーリーに戻れるので、いくら笑いで崩してもびくともしない、とは大将の述懐である。

主人公の与三郎(三木のり平)はごろつき仲間の蝙蝠安(八波むと志)に連れられて、金をねだりにある妾の家を訪れた。ところがそこに住む女の顔をよく見れば、なんとそれは三年前に別れたきりのお富である。片時もお富を忘れることのできなかった与三郎は、お富を見て驚くと同時に、またしても誰かの囲いものになったかと思うとなんとも肚が収まらない、カネでも無心してやるか。

「ご新造さんへ、おかみさんへ、お富さんへ。いやさお富、久しぶりだなあ」

軽演劇バージョンはまず、八波さんが、与三郎役ののり平さんを突っ込むところが始まる。幕前である。

八波「与三郎、おめえ、こういう時は歩き方から怖そうに見せなきゃダメだ。歩いてみろ」

のり平「こうですか」

八波「おめえ、手と足とおんなじ方を出して歩いてやがる。たがいちがいに出すんだよ」

のり平「(やってみるが)……」

このアクト講座があって、幕が開きお富のいる「玄冶店」に場が変わる。いよいよ、

「ご新造さんへ、おかみさんへ、お富さんへ。いやさお富、久しぶりだなあ」

と、のり平の与三郎がお富に次第に近づいていって啖呵を切る名シーンだ。ところが、のり平がこの単価がうまく切れない。あぐらをかこうとしても体が傾いてしまうので膝に草履を載せてバランスをとる。八波さんがすかさずそこを突っ込む。

「そりゃもう笑った笑った。上手いなあって」

と大将が言う。そこまで言うなら、ぜひ見たい。宝塚映画(現・東宝)が、その名も『雲の上団五郎一座』という映画を作っている。

「ああ、映画はダメ、あの映画じゃ面白さは伝わらない」

と、大将は言うが、とりあえず見てみるしかない。発売されていないので東宝本社に2万円を払って、特別に見せてもらう。

大将の言うとおりであった。歩き方のアクト講座の場面はある。そこでわかるのは八波さんのツッコミのスピードと口跡の良さ。あんなに速いテンポでもなにを言っているかはっきりわかる声質、のり平さんの軽やかさ、ツッコミからの振りを見事にこなす演技力、そこまでは曲がりなりにもわかるが、肝心の「ご新造さんへ、おかみさんへ、お富さんへ。いやさお富、久しぶりだなあ」の場面がない。

大将は映画と舞台は違うからなあ。と言う。

「でも大将、あの映画ちゃんと客入れて舞台で撮ってますよねえ」

「そうだよねえ。でもさ・・・」

僕が言葉を差し挟む

「お客さんは、映画を撮るために集められてて、助監督がなんかがシーン21、カット16、用意スタートなんて大声でお客さんに叫ぶ。緊張します」

「そう、そんな状況で客が笑うわけがない。いやさお富の、シーンは、撮ったけど笑いが少なかったんでカットになったんだろう」

それが大将の推測だ。 では、もう八波さんとのり平さんのコントは見られないのか。

「僕が、のり平さんに出てもらって突っ込んだこともあるよ」

僕は身を乗り出す。

「なんですかそれ?」

「『欽どこ』だよ」

『欽ちゃんのどこまでやるの!?』(1976〜1986)は、テレビ朝日で放送された番組で、真屋順子さんやわらべ、クロ子とグレ子(関根勤・小堺一機)などのスターが生まれた。視聴率は40%を越え、民放キー局5局で一弱と呼ばれた同局にあって、ひときわ光を放っていた。

その「欽どこ」で、大将とのり平さんがコントをやっているのだ。絶対に見たい。しかし、発売されている「欽どこ」のDVDには収録されていない。僕はディレクターだった一杉丈夫さんに問い合わせてみた。

「ああ覚えてるよ、あれは面白かった、確か100回記念でねえ。時代劇の設定だったはずだよ」

「VTR残してありますかねえ」

当時、VTRは使い回しで、上から新しい番組が重ね撮りされるのが普通だ。

「残ってる残ってる。『欽どこ』だけは、全部残すように頼んであるから」

一杉さん、ありがとう。大将とのり平さんのコント。しかも、時代劇、八波さんとのコントの感じがつかめるかもしれない。ようやく手元に来た大将とのり平さんのコントは、教えている学生(ほとんどが18、19歳)と一緒に見ることにした。若い人の反応が見たかったからだ。この時大将37歳、のり平さん54歳。

設定は大将が殿様、その姫が真屋順子さん、姫は理由の分からない病気で臥せっている、そこに、医者ののり平さんがやってくる。鉄板どころか、黄金の設定である。

のり平さんの医者は、ドジョウヒゲで見るからに間抜けそうである。まずのり平さんの出方が、無礼だと何度もやり直しをさせられる。そのやり直しは適切な大将の「振り」によってのり平さんが「こなす」。こなし方は同じことを絶対にするはずもなく、僕の想像の裏をかいてくる。

姫に薬をやろうとして、つい指をなめて紙の薬包を解いてしまうのり平さん。殿が「舐めるな」と言っても舐めてしまう、のり平さんの動きのギャグが見事に間に入る。僕はそれがたまらなくおかしいが、学生が笑うところは違う。

「あんたほんとに名医なの」

「ハイ、名医、でもおじさんから見るとおい。名医で甥」

学生一同笑う。

「姫の喉を見なさい。顔に近づいてみてはいかん」

「ハイ」と、のり平望遠鏡を出して遠くから見る。

「どうだ?」

「異常ありません。ただ鼻クソが少し」

「余計なとこ見るな」

学生一同、二度笑う。

大将の理論はぴったりハマっている。若い人は言葉のギャグや現象のギャグ、大人は笑わない、コメディアンもやりたいのはそういう笑いじゃない。芝居のギャグ。でもテレビは若い人も見るから、それも入れておく。それが大将理論だ。

学生は総体として面白いと思ったのだろうか。5人の学生は、みんな「面白い」といった。でも、こうも言った。「殿様ならもっといい医者呼べますよねえ」うーん。

コントを観たことを大将に報告して、聞きたかったことを聞いてみる。

「笑いを演っている最中は絶対に笑っちゃいけないって、いう人もいます、無この人じゃキートンは絶対に笑わない」

「そうすると、哲学的な笑いになるっていうか、好き嫌いだ」

「軽演劇では笑ってもいいと」

「最初から吹いちゃダメだよ。真屋さんはそこがすぐれてるの、ギャグやっててても知らん顔ができる」

「途中から、寝ている真屋さんの肩が震えてました。笑いをこらえて」

「そこも優れてるとこ。それが「振りこなし受け」の「受け」ができてるってことだ。「受け」はお客さんの気持ちを代弁してあげること、私がこれだけ面白いんだからみなさんもっと面白いんでしょうねって」

それから、突然こんなことを大将は言った。

「さんまちゃん、あの人、トークで誰かが面白いこと言うと寝るでしょ。舞台に寝っ転がる。あれも見事な受け。コケるんじゃなくて寝っ転がる、そうしたところはさんまちゃんすごい」

 

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メディアゴン 編集部

メディアゴン編集部(めでぃあごんへんしゅうぶ)2014年5月末日、東京生まれ。メディア批評・メディア評論に特化したメディア専門家によるメディアニュースサイト。キー局プロデューサー、ディレクター、イベントプロデューサー、放送作家、大学教授、評論家、ゲーム作家、弁護士・・・などなど、メディアの第一線で活躍する人材が活動中。