<ウィンドウ・ショッピングみたいなテレビ番組?>ノンフィクションが視聴率を争うコンテンツに変貌した80年代
高橋正嘉[TBS「時事放談」プロデューサー]
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ノンフィクション番組は1980年代に入ってから姿を変えた。それまでは社会派ドキュメンタリーであり、世界見聞録だった。手法的にもバリュエーションは少なかった。
社会派は「主張」であり、見聞録は「紹介」だ。今日、主流になっている「楽しむ」ということが第一義に置かれたことはない。
1960年代、70年代にノンフィクションといえるような番組は少ない。ドラマが圧倒的に多い。そこにはアメリカドラマも多数あった。他にスポーツ、歌、スタジオバラエティー、クイズ、ニュース・・・こんなところか。
ノンフィクションといえるものは社会派ドキュメントと世界見聞録を除くといわゆる特番的なものだ。世界初をウリにした探検モノ、アメリカ犯罪モノ、ミステリーモノ、超常現象といったシリーズだろう。
だが、そんなノンフィクションは、80年代に入り視聴率を争うコンテンツへと変貌していった。
きっかけといえるようなものはいくつかあったのだろう。その中のひとつが1980年代の初め「そこが知りたい」(TBS系火曜22:00~)が始まったことのように思う。第一回目は「行政改革」がテーマだった。やはり当初は社会派であり、手法としても「主張」である。
日航機の逆噴射事故があった年であり、飛行機の離着陸を特集したり、6回目あたりでは長崎に集中豪雨が起こるとそれを緊急特番として組み入れたりした。報道がやらない報道番組といったらよいだろうか。
報道というのは組織がテーマを探すということだ。全国にネットワークが作られている。それぞれに専門があり、そこから報告が上がってくる。だが、単独の番組にネットワークはない。毎回のテーマ出しが難しかった。
最初の数年は手探りだった。その中から、さまざまな手法が試されていった。
この頃のある象徴的なことが今も頭に残っている。TBSの社会情報局のデスクに大きな「大漁旗」が掲げられたのだ。その後何年も掲げられ続けた。周りの人間から汚れたから外してくれといわれても、制作プロデューサーはがんとして外さなかった。こだわっていた。何故、大漁旗にそれほどこだわっていたのか。
その制作プロデューサーからこだわりの理由を後に聞いたことがある。
掲げ始めたのは「秋刀魚」というテーマで番組を放送したときだった。当初、千葉県の銚子をテーマに番組作りを始めた。漁師の世界である。普通、秋刀魚であれば、取材先は日本各地に広がるだろう。だが、この番組は銚子にこだわった。
出来上がった番組は漁師の世界とはかけ離れたものだった。硬派な番組にはならず、銚子のさまざまな情報が満載した番組になった。料理も出てきた。
大漁旗も旗を作る職人を取材したことで番組の名前を入れた大漁旗を作った。タイトルも銚子の漁にかかわる番組名から秋刀魚を中心にしたタイトルになった。「秋はやっぱり秋刀魚がうまい」か。
秋刀魚にかかわるさまざまな情報が詰め込まれていた。この番組で制作プロデューサーはある手ごたえを掴んだという。「これでやっていける」と。
この番組には特別な世界は描かれていない。当たり前の日常があった。特殊な特種を狙う番組ではなく、居心地の良い番組だった。そういう番組が受け入れられるという手ごたえを感じたのではないか。
この後、新宿や渋谷、池袋、日比谷や有楽町、果ては北千住などという町シリーズが生まれていくことになる。この価値観に気づいたのは大きな発見だったといえるだろう。視聴者は特殊なものばかり見たいのではない、もっと身近なものが見たいのだと。
それまではテーマを見つけて番組を作るのが王道だった。テーマは「就職戦線」であったり、「囚人護送」だったりで、それを取材している限り脱線し難いものだった。当たり前の考え方かもしれない。だが、それを変え「ウィンドウ・ショッピングみたいな番組」でもいけると思ったのではないか。
一般視聴者は最初に見ようとするものを決めてはいない。見ていたら面白い、そうすれば視聴習慣がつく。ウィンドウ・ショッピングと一緒だ。町に行き、なんとなく商店を覗く、そこに魅力的な商品があればよい。
最初から、洋服屋、金物屋と決める必要はないのではないか、こんな考え方のように見える。まず町に行くこと、そしてウィンドウからともかく覗いてみることが第一だと。
「町歩き」が番組作りの方法論になっていく。行ってみたいと思うような場所を選ぶことがまず第一だ。面白いネタがあるから町を選ぶのではない。
とは言っても、行ってみると面白そうな商品がなくてはいけない。作り手からすればより困難なところに入っていくことになる。身近なところで、オヤッとびっくりするネタを見つけなくてはならなくなるのだから。
この後、報道特番的なものからはどんどん遠くなっていった。そして、調べるという苦労はどんどん増していった。同時にノンフィクションは多くの局に波及して行った。
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