<ひょうきんディレクター、三宅デタガリ恵介です>フジテレビの名物ディレクターが「バラエティ制作一筋44年」を本に
高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]
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近すぎて書評がすごく書きづらい。筆者が放送作家に成り立ての頃から使ってくれた元フジテレビの三宅恵介ディレクターが書き下ろし本を出した。
タイトルは「ひょうきんディレクター、三宅デタガリ恵介です」(新潮社)である。本のタイトルに自分の名前をつけるあたりは実に三宅さんらしい。これは三宅さん一流の照れの裏がえしなのである。
三宅さんは芸人ではないけれど、ビートたけしさんのようないい芸人が持つ照れを持っている人物なのである。「私は実は照れながらやってるんですけど、それを照れてると思われると恥ずかしいから、思いっきりやっちゃいます」という心持ちなのである。
三宅デタガリ恵介Dは、筆者(1955年生)より6歳年上である。出会ったばかりの頃、筆者に「高橋ニセモノ英樹」ペンネームをつけた張本人でもある。個人的には「高橋オノボリ秀樹」にしたかったのだけれども、初めて「タケちゃんマン」の台本を書いたとき、既に秀樹では字が違っていてシャレにならないからと親からもらった大事な名前の字は大俳優と同じ英樹に変えられてしまっていた。
しかも「ニセモノ」というミドルネームをつけ「それで、スーパー出しといたから」と通告するだけのわがままなディレクターでもあった。そのせいで、本物の高橋英樹さんのギャラが振り込まれるというアクシデントもあった。
と言うわけで、筆者はこの三宅Dに大変しごかれた。台本を書いて持って行くと受け取る前に必ず「面白い?」と聞く。自分は面白いと思って書き上げているので受け答えのしようがない。「面白い?」と聞くのはやめてくれませんかとお願いしたが、今もって「面白い?」と聞かれる。66歳と60歳になってもその関係は変わりそうにない。
本書に登場する多くの番組で、筆者は作家として、「だいたい3番目くらい」の作家だけれど、使ってもらっている。「ああ、このシーンには僕も居た」と言う場面が本書にも登場する。
横澤彪さんを「この人が今度プロデュサーをやってくれることになった横沢さん」と紹介されたシーン。
「笑っている場合ですよ」のたけしさんのブスコンテスト。山田邦子さんをブスコンテストに出てはいけないと説得するシーン。
「新春かくし芸」のたけしさんのノミのサーカス。
「オレたちひょうきん族」の「ラブユー貧乏」。ちなみに作詞は筆者・高橋秀樹です。
「はやく起きた朝は」のタイトルが「おそく起きた朝は」だった頃。ちなみにこのタイトルはユーミンの歌詞からのパクリですが提案したのは筆者です。
書評っぽいことも書いておきます。
本書で貫かれているのは、
「番組は、個人的に観てもらいたい誰かが居て、その人のためにつくるのが番組だ」
と言う思想です。「この人に笑ってもらいたい」からつくる番組には「この人のためにつくっているのだから、決してヤラセや嘘は入れられない」のです。それは大抵、愛する人です
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