<続・生きてやろうじゃないの!>東日本大震災と被災者家族の記録(3)震災ニュースを放送するだけがテレビはない
武澤忠[日本テレビ・チーフディレクター]
***
(第1回:https://mediagong.jp/?p=14158|第2回:https://mediagong.jp/?p=14224)
その後、実家の近所に嫁いだ姉からメールが入る。姉の一家と一緒に避難し、母も無事だという。ほっと胸をなでおろしたが、その後の一文に胸を押しつぶされた。
「家はもう、住める状態ではありません」
3ヶ月前に父が亡くなったばかり。母のショックは計り知れなかった。しかしそんな中でも、デイリーの情報番組の総合演出として、すぐに実家に帰るわけにはいかなかった。こんな時だからこそ、伝えるべきことがあるはず。
番組は既に3月いっぱいで終了が決まっていた。残り2週間のラインナップは既に決めてあり、ほとんどがロケも進んでいた。担当のディレクターたちにはこの番組で最後となる放送。
しかし彼らの渾身の作品は世に出ることなく、そこから全編「震災関連ニュース」で対応する日々が始まった。
CMは自粛、日本中から音楽が消え、笑い声が消えた。
最後まで自分の任務を果たすべきだと日々震災関係のニュースを伝えながらも、心の中では気になるのはやはり実家の事。その頃、地元の公民館に避難していた母は、幸いにも無事だった近所に住む姉夫婦の家に身を移し、お世話になっていた。
震災から1週間がたった頃から、番組に寄せられる被災地からのファックスに、こんな声が目立つようになった。
「子供が毎日泣いています。どうか地震のニュースだけでなく、アンパンマンも流してください。音楽を流してください」
そのファックスを見つめながら、今テレビがやれることは何なのだろう? と考えた。地震や津波の被害は、日々拡大している。それを伝えるのはもちろん大切なこと。しかし、テレビの役割は、他にもあるのではないか?
ほんの少しの時間、辛い現実を忘れるために、「笑う」ことも大切なのではないか?
翌週、「DON!」にとっては最後の1週間。これを震災ニュースだけでなく、あえて「通常放送」に切り替えたいと、上司と共に上層部に直訴した。
「まだ早いのでは?」
そんな声がなかったわけではない。だが、「こんな時だからこそ元気を届ける!」のが、この番組の役割ではないかという我々の想いを、会社は理解してくれた。
3月21日の月曜日。番組冒頭で司会の中山秀征さんはこう言っている。
「こんな時、僕たちに何が出来るのか、スタッフみんなと考えました。やっぱり僕たちは、お茶の間に元気を届けたい!そう思いました。今日も明るく元気でまいります!よろしくお願いします」
かくしてスタジオには久しぶりに笑い声がはじけた。
終盤には「龍馬伝」の題字も書いた書家の紫舟(ししゅう)さんと世界的華人・赤井勝さんが生パフォーマンス! 華やかに彩られた花々に囲まれた中に、「日本一心」という大きな文字が浮かび上がった。
「日本一心」
今こそ、日本をひとつに。心をひとつに。
そのメッセージは、ダイレクトに胸に伝わった。スタジオの出演者は、みんな涙ぐんでいた。
放送後、姉から携帯にメールが届く。
「被災地へのメッセージ・・・確かに届きました。お母さんが言っていたよ。『がんばって』って百万回言われるよりも、勇気をもらったって」
その4日後、「DON!」は終了した。
(※本記事は全10回の連続掲載です)
【あわせて読みたい】