<「あさロス」の方のために>「あさが来た」平均視聴率が今世紀最高23.5%

テレビ

水戸重之[弁護士/吉本興業(株)社外監査役/湘南ベルマーレ取締役]
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<白岡あさと広岡浅子>
NHK連続テレビ小説「あさが来た」は、平均視聴率23.5%という今世紀最高の記録を残して幕を閉じた。
明治の女性実業家・広岡浅子をモデルにしたドラマである。広岡浅子は、加島銀行、炭鉱経営、大同生命、尼崎紡績(ユニチカの前身)、日本綿花(旧ニチメンの前身)などを次々と起業し、陰に日向にこれらの企業の経営を支えた。
同時に、女性教育に力を注ぎ日本女子大学の設立に尽力した。まさに明治の女傑である。
彼女の下には、井上秀(後の日本女子大学学長。ドラマでは宜(のぶ)=吉岡里帆))、小橋三四子(女流ジャーナリストの草分け)、市川房江(参議院議員)、安中花子(後の「赤毛のアン」の翻訳者・村岡花子)など、後にひとかどの人物となる若い女性たちが集った。
ドラマの最終回のエンディング近く、ピクニックにでかけて若い女性たちに講話をするあさの話は、浅子と彼女らとの勉強会の実話に近いようである。
ドラマの白岡あさは、疑問があると「なんでどすか」と相手を質問責めにし、困難に遭遇すると「びっくりぽんや!」と驚きつつも、突き進む女性。あさ役の波瑠(はる)は、最初の頃、着物にカツラで「わしが近藤勇じゃー」と子供相手に棒切れを構えていたシーンなどは、どうなることやらと思われた。
が、洋装になるあたりから波瑠の洋風の顔立ちが明治のあさにマッチしてヒロインらしくなり、さらに晩年に差し掛かって落ち着いた頃にはもともと波瑠がもっている気品が役を引き立てていた。
ところで、これほどの女傑であるにもかかわらず、実在の広岡浅子の存在は、彼女が関係した学校や企業の関係者以外には、それほど世の中に知られていなかった。
ドラマの原案となった「小説 土佐堀川」を書いた古川智映子自身が、「大日本女性人名辞書」の中に14行ほどの記載を見つけるまで、その存在を知らなかったと書いている。
最初はこの辞書以外には手がかりがなく文献探しにも苦労したようだ。出版後「20数年間、この小説は休眠状態にあった」と、作家の宮本輝は書いている(文庫版解説より)。
はて、これはどうしたことか。広岡浅子はもっと早く、働く女性のベンチマークになってもおかしくなかったのではないか。自らは社長や学長には就かなかったから?もともと豪商の出で、いわば「(富を)持てる者」だったから? 東京ではなく、京都、大阪の話だったから? どうも謎である。
<小藤の子供と、ふゆのロマンス>
話は変わるが、浅子のお付きの女性だった小藤は信五郎の子供を4人産んでいる。お妾というのか、側室というのか、時代といえばそれまでだが、「土佐堀川」では、男の子がいなかった浅子が跡取りをつくるために、進んで、小藤に信五郎の側室となることを勧め、両人ともそれに従ったとされている。
浅子の心の内はともかく、その小藤が生んだ男の子(松三郎)が後に大同生命4代目社長になっていることからすれば、「土佐堀川」の描写はそれなりの説得力がある。
この小藤、浅子のお付きの女性だったという意味では、ドラマ上の役柄ではあさに着いてきたうめ(友近)ということになろうが、脚本の大森美香さんは、どちらかといえば、新次郎に思いを寄せた、年若いふゆ(清原果耶)を小藤に重ね合わせていたのではなかろうか。
現実はそんなロマンティックな話ではなかったのかもしれないが、史実に薄紅の色付けをした脚色に拍手を送りたい。もしかしたら、史実を先に知っているコアな視聴者が、さて、新次郎はふゆを抱くのか、妾にするのか、NHKはどうするんだ! というゲスな見方を見透かして、その裏をかいて見せたのかもしれない。
広岡浅子は、ときに本心をずばっと言い、ピストルを懐に炭鉱に乗り込むなど男顔負けの豪胆さを見せつつも、肝心なところでは男子を立てる、といった、男尊女卑の世での現実的な動き方を心得ていた女性なのではなかろうか。
「オンナを使う」とはまた違った意味で、「女性としての立ち位置」を心得て動いた人物のように思われる。そのへんの男子との距離感を、波瑠は上手く演じていたと思う。
逆に言えば、そのあたりが、平塚らいてう(らいちょう)のように、徹底した男女平等を掲げ、よりとんがった思想で名を遺した女性からは反発の対象でしかなかった。ドラマの中での大島優子演じる平塚らいてうとあさの対立は、少なくとも感情面では史実に近いようである。
<眉山はつと五代友厚>
二人の登場人物が、このドラマに深みを与えていた。
1人は、あさの姉の眉山はつ(宮崎あおい)。人生の栄枯盛衰という点からは明暗分かれたように見える2人だが、はつにはなつなりの幸せがきっちり描かれている。宮崎あおいの好演に支えられて、はつの人生はあさとは全く別の意味の幸せがあった。
史実の信五郎と浅子と小藤の関係を考えれば、社会的な成功と家族の幸せとは別ということを象徴していたともいえる。
もう一人は、あさの大阪での支持者であった、五代友厚。大阪商工会議所を設立し、「大阪を作った男」とも称されたこの人物を演じたディーン・フジオカは、ドラマ界にとって一つの発見であった。
ドラマが終わった「あさロス」よりも、ドラマ中盤に早々に五代が亡くなった「五代さまロス」の方が視聴者には大きかったかもしれない。
<ファースト・ペンギンとファースト・ラビット>
さて、その五代があさのことを「ファースト・ペンギン」に例えて、絵まで描いてプレゼントしている。この「ファースト・ペンギン」という言葉、群れから抜け出して最初に海に飛び込む勇気あるペンギンのことをいう。ドラマの中ではその言葉が繰り返し使われ、五代が遺したペンギンの絵も何度も登場した。
ファースト・ペンギンのエピソードは、このドラマの主題歌を歌うAKB48の「ファースト・ラビット」を思い出させる。というより、秋元康氏は、ファースト・ペンギンという言葉に着想を得てファースト・ラビットを創作したのではなかろうか。

♪ある日森の中で見つけた どこかへ続く洞穴(ほらあな)を
周りの友はその暗闇を ただ覗くだけで動かない
なぜだかドキドキして来て 僕は一番目に走る♪(「ファースト・ラビット」)

ちなみに、ペンギンの方は、AKB48の「走れ!ペンギン」という別の曲で使われている。
<「紙飛行機」の意味>
このドラマの主題歌「365日の紙飛行機」を作詞したのがその秋元康氏であり、歌はAKB48である。リードヴォーカルは、AKBグループの1つで、大阪なんばを拠点とするNMB48のセンター山本彩(さやか)。その爽やかな歌声は、朝ドラにふさわしく、ドラマの好調の一翼を担っていた。

♪人生は紙飛行機 願い乗せて飛んでいくよ
風の中を力の限り ただ進むだけ♪

筆者は、このドラマの主題歌が、なぜ「紙飛行機」なのだろう、と考えていた。歌詞は、こう続く。

♪その距離を競うより、どう飛んだか、どこを飛んだのか、それが一番大切なんだ♪

そう大して長い距離は飛べない紙飛行機。風まかせで進む紙飛行機。
時代や家や夫に人生を左右されつつも、人として優劣なく生きたはつとあさの姉妹のことだろうか。それとも、大きな業績を残しながらも自らは大きな名前を残そうとはしなかった広岡浅子の生き方を表しているのだろうか。
飛行記録を残すわけではない紙飛行機は、歴史の教科書には載りにくい。けれど、埋もれていた広岡浅子の存在は、ドラマと言う媒体によって、蘇った。実在の広岡浅子は、現代とは状況が違いすぎてこれからの女性の目標にはなりにくいのかもしれない。
だが、波瑠が演じた白岡あさとその周辺の人々の物語は、これからも人々の心に残っていくだろう。
 
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