<日朝交渉「前のめり」なのは北朝鮮ではなく安倍政権>北朝鮮は援助が欲しくてにじり寄ってくる国家ではない

海外

高世仁[ジャーナリスト]

 
「横田めぐみさんは、今度こそ帰ってくるんでしょう?」
知り合いが嬉しそうにこう言うのを聞いて、拉致被害者の「再調査」への期待が高いことを実感した。テレビ局はどこも今後の進展に備えて準備をはじめている。
こうした雰囲気のなか、拉致被害者の個人名まで挙げたさまざまな「スクープ」情報がメディアに流れ、これがさらに国民の期待を煽っている。
先日、日経新聞は、北朝鮮が30人の「生存者リスト」を日本側に提示しており、その中には政府認定の拉致被害者が複数含まれているとの「スクープ」をうった。しかし、この段階で北朝鮮がリストを提示することはありえない。日本政府が正式に否定し、日経に抗議したのは当然だった。
2002年の日朝首脳会談を振り返ってみよう。北朝鮮が日本側に「5人生存、8人死亡」という拉致被害者の安否情報を告げたのは、なんと9月17日朝に小泉総理が平壌に着いたあとのことだった。小泉訪朝をお膳立てした当時の田中均アジア太平洋局長が、まる一年、二十数回におよぶ水面下交渉を行っていたにもかかわらず、首脳会談の数時間前まで具体的な情報を出さなかったのだ。ぎりぎりまで手のうちを明かさないのが北朝鮮の戦術だ。
私は、1997年、めぐみさんらしい日本女性を北朝鮮で見たという元工作員の直接証言を初めて報じた者として、彼女はじめ拉致被害者全員の帰還を願う気持ちは人後に落ちないつもりだが、甘い期待を持つ気にはとうていなれない。
まず、北朝鮮が日本の援助を喉から手が出るほど欲しがっており、関係改善に「前のめり」になっているという分析をよく聞くが、これは誤解ではないか。
たしかに国民の多くは困窮の中にあるが、北朝鮮の政策はそのことを視野に入れていないからだ。北朝鮮では、90年代後半、飢餓で200万人とも300万人ともいわれる犠牲者が出た。ところが、ちょうどその時期、莫大な外貨が核・ミサイル開発につぎ込まれていた。その結果が98年のテポドン発射と2006年の核実験だった。そもそも、援助が欲しくてにじり寄ってくる国家ではないのだ。
実は「前のめり」なのは日本の方ではないか。
7月4日、日本政府は早々と06年から続けてきた独自制裁の一部解除を決めている。1日に北京で行われた日朝協議で、北朝鮮側が示した「再調査」のための特別調査委員会の構成を、日本側が「かつてない態勢ができた」と高く評価したからだ。
だが、ちょっと待ってほしい。
拉致は北朝鮮の指導者直属の秘密機関で実行された、いわば国家プロジェクトである。被害者の消息をいまさら調査する必要はない。特別調査委員会の設置は、拉致被害者「8人死亡」「4人入境せず」という発表を訂正させるための形づくりにすぎない。
委員長の徐大河(ソテハ)なる人物はじめ委員の多くは、肩書は示されたものの外部世界にはほとんど知られていない。しかも委員会の設置を決めただけで、まだ活動を開始していない。この段階で「見返り」を与えた安倍内閣の「前のめり」度はかなりのものだ。
安倍氏は、2002年の日朝首脳会談で小泉総理を補佐し政治家として名を挙げた。拉致問題のおかげで総理になれた人であり、「安倍政権の間に(拉致)問題を解決する」と宣言してもいる。安倍総理の言動を見るとき、拉致問題の進展を実際より大きく見せようとする動機を非常に強く持っていることに留意しておきたい。
日朝の温度差は、すでに特別調査委員会の設置の発表に垣間見えている。
特別調査委員会には調査対象ごとに四つの分科会が置かれるのだが、日本側が「拉致被害者」「行方不明者」「日本人遺骨問題」「残留日本人・日本人配偶者」の四分科会と記しているのに対して、北朝鮮側は「日本人遺骨」「残留日本人および日本人配偶者」「拉致被害者」「行方不明者」の順に並べて発表している。
北朝鮮側は、拉致被害者、行方不明者を後回しにして日本人遺骨や日本人配偶者などを優先し、多くの「数」をかせいで「成果」として示す狙いなのではないか。
日朝間でボタンのかけ違いがもう始まっている気配を感じる。