オリンピック特需とコロナ隠し

社会・メディア

山口道宏[ジャーナリスト、星槎大学教授、日本ペンクラブ会員]

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高齢者で「持病」があったら死んでもいいのか!!きまって犠牲者は弱者に集中するのだ。

3月8日現在、我が国では7人が新型コロナウィルスで死んだと報じられた。なかでも横浜港に2週間にわたりクルーズ船内に閉じ込められた3000人を超える人々はまっとうな医療も受けられず、集団感染下に据え置かれた。ようやく帰宅ののち亡くなった方の存在を知ったなら、こんな不条理なことはない。

高齢者ゆえ有病率が高くて当然だが、今回のそれは、ゆったりとした憧れの船旅だったに違いない。下船ののち乗客だった高齢者4人が死んでいる。

[参考]<中止の早期決断を>フクシマ事故と新型肺炎と東京オリンピック-植草一秀

「もともと持病があったから」と、国はその非業の死を片づけるのか。下船を許されない船内は、平静を装うも、専門家もいうように「実験台」のよう。政府は、感染リスクの高い順に船外の病院や施設へ移し乗船客を減らす努力をしなかった。船上の日々の感染者数の推移を報じるさまは、まるでテレビのドキュメント番組だ。

この間、ひたすら心配していた「家族」は下船するや、手遅れで「遺族」になった。人災への怨嗟はいかほどか!!!それは国による、明らかな<不作為の罪>といっていい。安倍首相らお友達内閣は人権など考えていないことを国内外に露わにした。乗客の外国人の一部はニッポン政府への裁判も検討しているという。

なにより宰相の「オリンピック開催にこぎつけたい」の一心がなす技だった。首相自身の「レガシー」のため、その準備のモノ、人を前に「中止」になったら身も蓋もないと。オリンピック特需は多額の血税を投入した建造物ばかりではないのだ。

だから、ことを荒立てたくない。「日本は安全ですから」「日本は大丈夫だから」を言いつづけるため「小事のこと」とばかり演出する。オリンピック特需とコロナ隠しは一体だった。

しかし結果は、裏目に。

「コロナが終息しなければ五輪は中止を」と既にIOC内部からも声が上がっている。

 

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