フランス勲章受章の北野武監督の弁に感じた「残念感」

エンタメ・芸能

高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]
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ビートたけしさんは、凡百のヴォードヴィリアン、コメディアン、俳優、思想家をしのぐ、図抜けた存在である。
しかし、「たけしさん」は、ふたりいる。もうひとり「たけしさん」の存在は映画監督北野武である。その北野武監督がフランスのレジオン・ドヌール勲章を受章して、その叙勲式に臨んだ。
「レジオン・ドヌール勲章」とは、文化や科学、経済などの分野での卓越した功績を表彰する目的で1802年にナポレオンが創設した、フランスで最も名誉ある国家勲章だ。北野監督に授与されたのは勲章の5つの等級のうち4等にあたる「オフィシエ」である。
筆者は北野監督の受章の弁に注目した。すると、北野監督は明らかに緊張しているのが分かる表情でこう述べた。

「ここにいられないほど恥ずかしい。この受章でもうひと押しされ、新しいジャンルでもまた活躍できるよう、力をもらった気がします。本当に感謝しています、ありがとうございます」

あいさつが、終わった瞬間、筆者はテレビに向かって「何、普通のこと言ってるんだろう、たけしさんは」と、声を出して言っていた。
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ヴォードヴィリアン、コメディアンとしてのたけしさんと「台本屋」として接してきた筆者は、たけしさんが、「普通」が嫌いなことを身に沁みて知っている。名を名乗るのでさえ自分の名をまともに言うことはすくない。型どおり、紋切り型を嫌う。この挨拶を聞いて受章の弁としての紋切り型を皮肉ったのかと思ったが、緊張ぶりから見るとそうではない。
もちろん、「普通のあいさつ」をして悪いことは何もない。「何か面白いことを言ってくれるだろう」という筆者の期待のしすぎである。テレビの中に叙勲式にいるのは、「漫才で育った精神を生かして大きく豊かな世界をつくった。映画界にも独自のスタイルで新たな息吹をもたらし、国際的な名声を得た」と功績をたたえられている北野武監督なのだから。
ヴォードヴィリアン、コメディアンとしてのたけしさんしか知らない筆者が寂しく感じるだけである。
ただし、囲み取材では「基本はコメディアン、良い賞を頂ければ、それだけで落差で笑いが生まれる」とも言っているらしい。メディアはこっちのほうをきちんと報道すべきである。
 
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