「人はなぜテレビを見るのか」の問いに答えられるか?

社会・メディア

高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]
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「電動ドリルを買う人は電動ドリルが欲しいから買うのか」

違う。答えは電動ドリルが欲しいからではない。「穴が必要だから」だ。
「電動ドリルを買う人は電動ドリルが必要だから」と考えることを「マーケティング近視眼」と言う。企業が商品を販売するにあたって、その商品の機能のみに着眼してしまうと自らの使命を狭く(もしくは間違って)定義することになり、そのような方法では競合や環境変化が起これば対応しきれないことを説明している。
これはハーバード・ビジネススクール名誉教授セオドア・レビットが1960年にハーバード・ビジネス・レビューに掲載した「マーケティング近視眼」の中で説明した概念である。
【参考】露骨なステマで崩れ落ちた「報道ステーション」の信頼感
たとえば、当時自動車や航空機などの進展によって衰退へと追いやられたアメリカの「鉄道会社」は人や物を目的地に運ぶことを目的と捉えず、車両を動かすことを自らの使命と定義したことが衰退の要因であるとする。
また、アメリカの「映画業界」は自らをエンタティメント産業と捉えず、単なる映画製作会社と捉えてしまった。一方、「ハリウッド」が一時、テレビを拒否してしまったのは、自らをエンタティンメント業界の一員であると定義していなかったからだ、とする。
様々な産業でここから類推することが可能だろう。その類推のひとつとして次の様な問答があるだろう。

「人はなぜテレビを見るのか」

笑いたいから、情報を得たいから、感動したいから、暇を潰したいから、芸能スキャンダルは楽しいからでは、近視眼的であることは直ちに了解できるだろう。
「テレビニュースをなぜ見るか」に限って思考実験をして見る。「情報が得たいから」だけでは近視眼的になっていることは明らかだろう。

  • 「情報が得たいから」→「情報を得て、得をしたいから」
  • 「情報が得たいから」→「情報を得て、知的欲求を満足させたいから」
  • 「情報が得たいから」→「情報を得て、自分も家族も、出来れば他人も住みよい世の中にしたいから」

認知心理学的に言えば

  • 「情報が得たいから」→「情報を得て、他人への処罰感情を満足させたいから」

なども考えられる。処罰を脳は報酬として受け取ることが分かっている。
筆者の頭では、答えは一つに絞れそうもないが、とりあえずは「情報を得て自分も家族も、出来れば他人も住みよい世の中にしたいから」ということぐらいは考えてるようにしている。
 
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