<紅白歌合戦>「歌番組の日本最高峰」というステイタスを自ら壊した演出方針

テレビ

榛葉健[ テレビプロデューサー/ドキュメンタリー映画監督]

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2016年末の紅白歌合戦は、見ていて痛々しかった。

解散が決まっていたSMAPにラストステージの場を飾ってもらおうと空けていた時間を埋めるためか、タモリとマツコ・デラックスによるコントや、映画「シンゴジラ」のパロディーでニュース専門の武田真一アナがゴジラのNHKホール来襲を中継リポートして、「PPAP」の真似事までするという、今までにない「遊び」を加えたアプローチをしていた。

出演者は制作側の要求通りに、台本通り=予定調和のコントを演じたものの、結局、番組全体から伝わってきたのは、「歌」そのものへのリスペクトを欠いた構成だったという空気だった。

郷ひろみの歌を圧巻のダンスで彩った女優・土屋太鳳の健闘など、プロフェッショナルを感じさせる「見せ場」は随所にあった。しかし、幕間に繰り返された、歌とは無関係な展開が、番組全体が放ってきた「歌番組の最高峰」というイメージを損ねてしまったように見えた。

更に、これまでの客席の前列にあった審査員席を舞台上に上げたことで、「紅白のステージは、選ばれた歌手やミュージシャンだけが上がれる場所」というステイタスを、制作者たちが自ら軽くしてしまった。

【参考】<NHKのひとり勝ち>「視聴率三冠王」は日テレではなかった!

「紅白」の凄みは、生放送でありながら、NHKホールの曲間の舞台転換を絶対に見せないよう、色々な仕掛けで合間をカバーする秒単位の舞台進行の見事さにあった。それは尋常ではない細かい計算で、「絶対失敗しない」という多くのスタッフの入念な準備によって作り込まれてきたものだ。

数年前の「紅白」で、和田アキ子さんとSMAPの中居正広さんが司会をした時、中居さんが次の歌を紹介する時に、「ではスタンバイよろしいでしょうか?」と普通の生番組のように喋ったところ、イントロが始まってから和田さんが、マイクに聴こえない状況で中居さんを叱り飛ばしていたのが一瞬カメラに映った。

私には、司会者として実績のある和田さんが「舞台裏をばらすようなトークは絶対にするな」と中居さんを叱責しているように見えた。(というシーンが映像に映ってしまったことも皮肉でありますが)

それほど、生放送の歌番組としては、「紅白歌合戦」は、驚愕のレベルの番組であることは間違いない。

だが今回はあちこちにほころびが見えた。

嵐の相葉雅紀さんの司会も、厳しいようだがミスの連発で、残念ながら甘かった。逆に和田さんの件以後の中居さんの紅白の司会ぶりが、いかに優れているかが逆説的に分かった。

昨年、関東地区での視聴率が40%を割ってジリ貧傾向にあることで、制作陣が危機感を抱いている気持ちは分かる。

関東では今回、後半の「第二部」の視聴率が微増して再び40%に届いたと好意的に紹介する記事もあるが(関西では今年も40%割れ)、そんな微々たる数字の差を云々するよりも、「紅白」が長年培ってきた「品位」とは一線を画し、「バラエティー歌謡ショー」へと大きく転換した方向性が良かったのか悪かったのか? それを真っ当に批評することの方が、よほど意味があるのではないか。

【参考】<NHK取材の快挙?>週刊文春記者が「文春砲の伝える意義」を問われ、しどろもどろ

「紅白」に限らず、ウェブやスポーツ新聞などのメディアが、テレビ番組の記事を書く時、大半が視聴率のことだけを紹介して、内容の良し悪しを批評しない。それは書き手が何も考えずに記事を書いているだけのことで、書き手の「テレビを見る力」が乏しいことの表れでもある。

その「数字だけで番組を評価する」世間の空気が、もしかしたら紅白歌合戦の制作陣にも重圧になっていたのではないか? 歌番組で最も大切にされなくてはいけない「歌」を軽視した今回の「紅白歌合戦」の演出方針を見て、やはり痛々しさを感じずにはいられない。

「歌番組の日本最高峰」というステイタスを自ら壊した2016年大晦日の「紅白歌合戦」の演出方針が、吉と出るか凶と出るか? 今後「紅白」がどこに向かっていくのか、分岐点になるような気がしている。

 

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