<一発屋芸人の悲しみ>髭男爵が自著「一発屋芸人列伝」で鋭く分析
メディアゴン編集部
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「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」(意味:にぎやかな鵜飼いが終わり、鵜舟が去ってしまうと悲しい気分になってくる)と、芭蕉の句にある。世に言う芸人の存在は皆そうだ。底の当たりに悲しみを湛えていない芸人はニセモノであろう。芸人を見ていると、この句と同じ想いがする。
漫才師・髭男爵の山田ルイ53世が書いたエッセイ「一発屋芸人列伝」(新潮社)を読んで、この思いをまた深くした。「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を受賞したこの作品は、山田自身がインタビュー取材を行いまとめたものである。
対象はタイトル通り、レイザーラモンHG、コウメ太夫、テツ and トモ、ジョイマン、ムーディ勝山と天津・木村、波田陽区、ハローケイスケ、とにかく明るい安村、キンタローなどの「一発屋芸人」と呼ばれる人たち。筆者はブレイクしたした頃から、テツ and トモと波田陽区に同じ匂いを感じていたが、その理由が分からなかった。今回、本書を読んでその理由が分かった気がした。
現在のテツ and トモには、新しいネタを開拓しなければならないという強い意図はない。「○○が○○するのはなんでだろ〜♪」を今も繰り返して数多くの営業をこなしている。中央には出たいが、出ないとならないとの焦りもない。それは彼らが、「なんでだろ〜♪」の大ヒット曲を持っている演歌歌手と同じ存在であるからだ、と山田は喝破する。一発屋歌手は「やがて悲しき」ことにはならないからだ。
波田陽区は「残念!」のネタが世の中にから消えてから、ふるさとに近い福岡に移り住んだ。自分には「残念!」以上のネタは考えつかないのかと思っている。でも、考えつかないことに焦りはない。「残念!」のネタは無くても、テレビ出演の仕事はぼつぼつとある。波田陽区は芸人であることをやめ、タレント(テレビ出演者)であることでこれからを生きていこうとしているのである。
テツ and トモも、波田陽区も、目指すものが芸人ではなかったのである。筆者は、おそらくそこに共通の匂いを感じていたのである。
一方で、芸人であり続けようとしているのは、髭男爵である。彼らは漫才がやりたいばかりに「貴族が漫才をやったら」という突拍子もない設定を考え出した。どうにでも応用の利く、すぐれた設定である。
ということは、彼ら自身は「一発屋でもない」。成功した貴族漫才という設定をとことんまでアレンジし続ければ良いのである。「髭男爵」は、今がまさに「おもしろうて」の時期にいるのであって、まだ「やがて悲しき」時期には入っていないのである。
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