<芸能界で同姓同名は厳禁>放送作家・高橋秀樹と大俳優・高橋英樹のギャラが間違えて振り込まれた

エンタメ・芸能

高橋秀樹[放送作家]
2014年5月16日

 
まだ若手放送作家だった頃に、びっくりしたことがある。フジテレビから400万円が振り込まれたのである。僕は、まだ駆け出しの放送作家でそんな巨額のギャラがもらえる仕事をした覚えもない。
すぐに、経理局に電話をして事の経緯を話した。すると電話に出た女性が、「そちらさまは、アイウエオ 企画の方ですか」と、言う。ピンときた。「アイウエオ企画」は、大俳・優高橋英樹さんの事務所なのである。間違えて高橋さんのギャラが僕のところに振り込まれたのだ。
すぐに訂正してくださるようお願いしたが、少し考えておかしくなった。僕よりも高橋さんの事務所の方が驚いているのではないか。私の5万円のギャラが高橋さんに振り込まれていたら?
僕が「タケちゃんマン」を書き始めたころ、なんでもギャグにしなければ気の済まないスタッフが僕の名前のスタッフロールに勝手にミドルネームを入れ「高橋ニセモノ英樹」にしていた。私の名は漢字の違う秀樹だが、それではギャグにならないと、字まで英樹に変えてしまったのである。そんなことがギャラの取り違えの原因になったのではないか。
そもそも、同じ芸能界で働く場合、後輩は先輩と同じ名を名乗ってはならないのが原則だ。僕は笑いの作家だし、高橋さんは桃太郎侍、時代劇の千両役者である。仕事はかぶるまい、字も違うしと、本名で作家を始めたのだが、それがこの事件を招いたのである。
1977年、キャンディーズの解散後、その人気にあやかろうと、渡辺プロダクションは 、妹分という名目で女の子の3人組、キャンディーズ・ジュニアを誕生させた。ところが彼女たちは熱狂的なキャンディーズのファンから猛反発を受け、名前をトライアングルに変ざるをえなかった。
そのトライアングルのメンバーには、本名が森光子という、 女の子がいた。森光子ちゃんは最初はその名を名乗っていたと記憶するが、大女優に敬意を表して芸名は小森みち子に変えた。
それほど、芸名が大切なのは、名前は最初からあるのではなく研鑽によって作り上げられるものだからである。
「三瓶(さんぺい)です」というギャグでデビューした芸人がいる。
これも失礼な話だ。50代以上の人なら皆知っている爆笑王林家三平と同じ名だからである。三平師匠は、今の9代目林家正蔵のお父さんである。9代目正蔵は前にこぶ平だった。8代目正蔵はこぶ平の生まれた海老名家から、正蔵の名前を借りて怪談話や芝居話の大御所となった。晩年、海老名家に名跡を返し林家彦六という翁のような名を名乗ったが、亡くなる間際まで渋い芸は健在で僕は大好きだった。
で、三平の名を守る海老名家ではこの名前をいっ平に継がせた。お父さんお初代林家三平の芸は落語界に突然花開いた異端芸であり、こういう人の名は一代限りの名前、つまり永久欠番にすべきだと私は思うのがどうだろう。志ん朝も馬生も実の子でありながら志ん生を名乗る気はさらさらなかった。
ところで私の話だが、のちに、高橋さんがバラエティ番組にも出演なさるようになったとき、直接ご本人に取材する機会を得た。初対面のツカミはこれしかない。僕はかねて用意の言葉を吐き出した。 「実は、僕も、タカハシヒデキって言うんです」
すると高橋さんは、つまらなそうな顔をしてこうおっしゃった。 「あ、そう」 ツカミ失敗。 もう僕も晩年だから、高橋彦六に改名しようかと思ったこともあるが、それも先代林家正蔵師匠に失礼な話だろう。
 
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