<記者こそ素人?>「ど素人NHK前田会長の大暴走」記事に違和感

社会・メディア

高橋秀樹[放送作家/発達障害研究者]

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一般書店では販売されない「完全宅配制度」の月刊誌『選択』という雑誌がある。執筆者は無記名を原則として、現役の新聞記者が約3割であるという。なかなか硬派な雑誌である。

その『選択』2020年9月号に「前田会長が大暴走中 公共放送を翻弄する『ど素人』の老害」と題する記事が出ているのだが、いささか腑に落ちないというか、長くテレビで仕事をしている人間としては、違和感を覚える内容である。そこで、本稿ではその記事について反論・意見をしてみたい。

記事によれば「奇人変人」の前田晃伸NHK会長が「放送にど素人なのに、プライドが高くて、頓珍漢な指示を繰り出し、現場を大混乱させていること」をさして大暴走だというのだが、果たしてその評価通りか。放送の現場にいるひとりとして、記事が正鵠を射ているかを考えてみたい。

まず、「放送にど素人なのに、プライドが高く」という記事の前提である。前田会長とは面識がないが、これは確かにそうなのかも知れない。東大法学部卒でみずほフィナンシャルグループ初代社長。この経歴だけ見ればそうである可能性は高い。そこから、「頓珍漢な指示を繰り出し」としているが、果たして、本当に頓珍漢なのか。この点について大いに疑義があるので本稿で詳しく述べる。そして「現場を大混乱させていること」についてであるが、これは事実であろうと思うしかない。だが、NHKとは、これくらいのことで大混乱するのか。大混乱するのは我が身大切から発する保身が理由ではないのか。

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では、それぞれの行動・発言を『選択』の当該記事から見てゆこう。

(1)安倍晋三首相の推しで、公共放送トップに収まったというのが一般的な認識なのに、ふたを開ければ、安倍政権に敵対的・・・という箇所。

報道機関は権力の監視が大きな仕事である。敵対的で何が悪いのか。そもそもNHKは予算を握られているので政権寄りだと思うし、少しくらい敵対的な方が、むしろバランスが取れているのではないか。

(2)「高市(早苗)総務大臣に会食に誘われたが断ってやった」「歴代会長は首相に挨拶に行っていたらしいが、必要ない!」・・・という箇所。

その意気や良し、と筆者には思える。首相動静によれば安倍首相と最も頻繁に会っているのはフジテレビの日枝久会長であるが、むしろこれをどう感じるか。

(3)「政治部出身者は嫌いだ」と公言。経営企画局、関連事業局、編成局、広報局といった、主要な局長ポストには、社会部やディレクターの出身者を任命。報道局長には経済部出身者を指名し、その下の取材センター長には(局次長)社会部出身者を充てるなどして政治部出身者は一掃された・・・という箇所。

そもそも政治部と政界との癒着が横行していることの方が問題である。どこの出身者かは別にして、人事は適材適所、属人的な問題だというのが、建前上の正論だとは思う。が、ショック療法として、別にこの人事は構わないのではないか。

(4)「維持費が高すぎる」として、現在全国に12機配備しているヘリ減らすように指示・・・という箇所。

これには筆者は反対である。民放が災害報道をきちんと出来るものか。災害発生時のNHKの視聴率の高さは、NHKを、多くの国民が信頼しているからだ。

(5)政府がGo Toトラベルキャンペーンの実施を決めると「どんどん批判しろ」と号令。「先見の明」があったとも言えるが、NHK会長が指図する話なのか・・・という箇所。

確かに、現場は「そんなことは言われなくても分かっている」と言いたくなるような発言で、これは控えた方がよろしい。ただ、「放送法第4条、政治的に公平であること」とか言って、現場を萎縮させるよりは良い。

(6)4月には安倍首相が「ニュースウォッチ9」に出演。それを前日に知った前田会長が「止められないか」と、現場に指示。結局、予定通りに出演したが現場は大混乱になった。「思いつきで放送現場に口出しするのは、いい加減にしてほしい」と怨嗟の声が相次いだ・・・という箇所。

これは「前田会長、いけませんねえ」というのが率直な感想。番組内のキャスティングは、現場チーフプロデューサーの専権事項である。ここは「お説拝聴にならないよう、進行の方法を考えろよ」くらいで良いのではないか。現場に口を出しすぎる経営者の存在は、どの業種でもロクなことがない。

(7)「民放のような番組が多すぎる」・・・という箇所。

そのとおりである。どの番組を指すかはさておき、民放では出来ない番組をつくってこそ、予算豊富な「みなさまのNHK」であるはずだ。

(8)「お笑い芸人の司会など必要ない。局アナを使えば番組経費の削減になる」・・・という箇所。

キャスティングには思想が、思想と言ってまずければ「演出意図」が必要である。今のNHKには演出意図のなさ過ぎる、民放のものまねのようなキャスティングが多すぎると筆者も思う。あのコメンテーター、あの芸人、あのタレント・・・は、なぜあんなに多くNHKで見かけるのか。

『選択』の記事は、天下の公器が、唯我独尊の老害によって、惑乱されている・・・と結んでいるが、そうと決め付ける根拠をこの記事を書いた記者はきちんと持っているのだろうか。

この記事を書いたのは、あまりテレビの現場を知らない記者かも知れない。筆者にはそう思えるし、そう感じるテレビマンは多いのではないか。

 

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