<タレントいじめ企画?>「水曜日のダウンタウン」が何をやりたいのか分からない
高橋秀樹[放送作家/発達障害研究者]
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2020年8月12日(水)のTBS『水曜日のダウンタウン』を見た。一番目の説「真面目な相談の電話中でもしっかり飯食うこと可能説」は、普通のできだったからスルーしよう。
ところで、2番目の説のVTRを見て、筆者は凍ってしまった。
説は「ものまね芸人がレパートリーにするときの常套句『リスペクトしているから』怪しい説」であった。浜田のモノマネをする「デコピン浜ちゃん」や、イチローのものまねをする「ニッチロー」、松本のモノマネをする「松本等しい」、「長州小力」などが、当該スターの誕生日などのカルト的なクイズを出されそれに答える。「リスペクトしている」なら、何でも答えられるだろうということだ。
さて、この企画の場合おもしろさをどこに求めるか。
ひとつめの形は解答者がそんなことも知っているのかと関心するほどの正答を連発することだ。これは見ていて気持ちがいいが、『水曜日のダウンタウン』が追求しようとしている「笑い」ではない。
もうひとつの形は説の通り、何も知らずに誤答の連発することである。これは「笑い」であるが、解答者のものまねタレントが何でもいいから「笑い」のとれる発言をしなければいけない。無言は笑いのタレントの対応として最悪であり、芸能界からは消える運命にある人となる。
結局、全問正解は出ず、ひとつめの形にはならなかった。では、ふたつめの形になったかというと、これにもならなかった。中途半端で終わったわけだ。中途半端で終わらせないための方法のひとつとしては、「松本等しい」のひどい答の後、本物の松本人志と対面させることなどが考えられるのだが、番組ではその手法はとらなかった。
ここまで見てあることを思ったことがある。
『水曜日のダウンタウン』は「笑い」の番組には珍しく主義主張のある番組だ。この主義主張があるために熱狂的なファンがいる。筆者自身は、「笑い」に主義主張などいらず、嫌な気持ちになることなく笑えればよいという考えである。それらの点を合わせ考えると、「ものまね芸人がレパートリーにするときの常套句『リスペクトしているから』怪しい説」は、『水曜日のダウンタウン』の演出家の「笑い」に対する主義主張を表現したものであって、特に笑えなくても良いと思って、放送に出したのではないか。
どんな主義主張か。それは「ものまねタレントは別に面白くないよ」という、主張ではないのか。ものまねタレントには2種類あって、ものまねしか出来ない大多数の人と、極少ないトークも出来るコロッケのような人々がいる。演出家はものまねしか出来ない大多数を認めていないのである。するとこの企画は、ものまねタレントをいじめる企画であることになる。その点では長州小力のキャスティングは微妙なところだ。
トークの出来ないものまねタレントをいじめる企画・・・。その筆者の考えは、追加検証として放送された5人の長渕剛ものまね芸人を集めた早押しクイズを見て確信に変わった。これは面白くならない。その予感通り、惨憺たるVTRであった。
ものまね長渕剛たちは、笑いをとろうともせず、淡々と答えるのみだ。全く笑えない。全く笑えない企画を笑いに変える優れた芸能人であるスタジオの松本人志も「これは、あれだね」と言うのみでフォローしない。フリ、ウケ、フォローの原則なんかクソ食らえと演出家が思っているからだろう。
肯定的に『水曜日のダウンタウン』を捉えるなら、旧来の笑いから飛び立つ要素を持っているとも言えるし、否定的に捉えるなら、演出家は「笑い」や芸人が、実は嫌いなのではないか、とも思うのである。この推測、当たっていたら少し怖い。
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