<決定版・欽ちゃんインタビュー>萩本欽一の財産(21)「スターはコント55号ではなく久米宏だ」その1

エンタメ・芸能

高橋秀樹[放送作家]
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『欽ドン!』『欽どこ』『欽曜日』という3つの番組が視聴率30%をはるかに超え、大将(萩本欽一)が「視聴率100%男」と呼ばれた頃、もうひとつ常時30%後半の数字をとったお化け番組があった1975年から10年以上を駆け抜けたTBS火曜夜7時半からの『ぴったしカン☆カン』(1975〜1986・TBS)である。
僕が放送作家デビューした想い出深い番組でもある。お断りしておくが、現在放送している『ぴったんこカン☆カン』とはコンセプトも手法も全く別種の番組である。この番組で僕は実にたくさんのことを学んだ。
大将が話し始める。

「俺の事務所でね、作家と一緒にいつも古今東西をやってた、ああ、そう、今の若い人は山手線ゲームというの。それを毎日、毎日やってた。最初はお題が車の名前だったり、雑誌の名前だったりしたんだけれど、同じお題は出しちゃいけない決まりだから、そのうち、題に行き詰まっちゃう。するとある時作家の永井(準)が“人から言われると嫌な言葉”っていうお題を出した。それがものすごく盛り上がった。ゲームの形で人の悪口言えるんだものね。助平とか、笑いになる、これが有名人についてのことなら、もっと盛り上がるって考えた」

「それが『ぴったしカン☆カン』になった?」

「前の番組がね『55号決定版』て言う番組で、数字が落ち始めてたんだけどある日、僕が沖縄にロケ収録に行ったら、雨が降った。僕はロケで一度も雨に降られたことがないの。その時、ああ、これは終わりだなやめよう、と思ったんだ」
「それでプロデューサーの長谷部(務)さんにスポンサーさんに説明しに言ってもらった」

長谷部さんから聞いた話だけどね、と前フリして話を継ぐ。

「長谷部さんは『欽ちゃんが、雨にふられたから番組をやめます』って、説明したらしい。でも、スポンサーさんにそれじゃ納得出来ないって言われたって」
「そりゃそうだよね。でも、スポンサーさんは、じゃあ、コント55号が新しい番組をやってくれるなら続けますって言ってくれた。トクホンさんて、番組に理解のあるすごくいいスポンサーだった。それから、すぐに日立さんもついてくれた」

僕「トクホンと日立の提供だってこともみんなが知ってるのが『ぴったしカン☆カン』でした」

「そうそう、火曜夜7時半恒例」

僕「ゲストの細川俊之さんに、あの甘い声で提供コメントを読んでもらったこともありました『不思議だ。トクホンと会う夜は、いつも日立なんだ』って。今はそういうこと絶対できないです」

「『ぴったしカン☆カン』が、始まることになって、困ったことがあった。長谷部さんが、欽ちゃん、司会をやってくれって、言うんだ。きっちり進行する司会は苦手だし、コント55号では、二郎さんとの約束ごとがいくつかあった。55号は未来を語り合わないとか、背丈を同じにするという約束もあった。つまりこれは俺が司会なら、二郎さんも司会をするってことだ」
「でもコント55号じゃ司会は出来ない」

「その時、思い出した人がいたの、海洋博のときに『欽ドン!』のスタッフと沖縄に行ったんだ。その時、TBSラジオの公開放送やっててガム配ってた。俺もその列にこっそり並んだんだけど、その時背がスーっと高い大柄なアナウンサーが見えたの」

 
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