<「採用決定以前」にすべき確認を採用後に?>五輪エンブレム問題・組織委員会の記者会見で増幅する「内輪感」


藤本貴之[東洋大学 准教授・博士(学術)/メディア学者]

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8月28日、東京五輪組織委員会による記者会見が開かれ、盗用疑惑がとりだたされている五輪エンブレムの「佐野研二郎氏による応募時の原案」が公表され、「ベルギー・リエージュ劇場」ロゴとの違いを示し、その盗用の否定が主張された。

8月26日に、応募時のデザインが現在のデザインとは異なることを表明し、その段階では「当初の案を公表する予定はない」とあったことから、そのスタンスが一転しての会見である。

この記者会見は組織委員会による「正当性の確認と幕引き」のためのイベントのようにも見えるが、一般的にはむしろ「内輪感」が出ただけであり、不透明さと疑惑が増したように感じる。

デザインの専門的な議論や「やった、やらない」の粗探し論はさておき、一般的な国民感覚に立った視点から、筆者が気づいた4つの疑問点を整理してみたい。

まず第一に、説明責任からとはいえ26日から一転、原案の公開をしたことである。詮索することに意味はないので言及は避けるが、一般的には「なぜ急に?」と疑惑が増幅する要因の一つだ。

第二に、事前の調査で類似のものが見つかったので改良した、という流れへの違和感だ。十分に調査をした上で採択するのは当然として、なぜ原案の採用後に「類似」が発見されたのか。採用決定の前に、十分な調査はしていなかったのか? しかも「改変後の類似」もなぜ、公表前にチェックできていなかったのか?(だから今回の問題が起きている)

つまり、これだけを見れば、「佐野デザイン案の採用ありき」だけが印象づいてしまい、類似調査は二の次だったのではないか? 審査委員会は機能していないのでわないか? と思われても仕方がない。

採用決定後に「調査したら類似があったので改良してね」という発想だとすれば、杜撰である以上に「内輪感」が出てしまい、審査過程に大きな疑念が持たれてしまう。

もちろん、「修正することが前提」「採用後にクライアント要望やバランスなどを経て修正」をするデザイン公募は珍しいことではない。しかし、オリンピックのような世界最大の事業でもそれがあり得るのか? 権利関係に厳しい海外も対象となるのだから、より厳密性が必要だったのではないか。

少なくとも、全ては「採用決定以前」にすべき確認ではなかったのか?

そして第三点目。会見では「原案はリエージュ劇場とは異なるデザイン」という主張。見方を変えれば、原案は現デザインとは「全く異なるデザインだ」という主張ということになる。

つまり、コンペに応募され、採用されたデザインは、その後、大きく(?)変更されたデザインであり、それが偶然「リエージュ劇場と似てしまった」ということだ。

その話を信じるとすれば、現デザインは「原案とは異なる」と一見してわかるほどの変更をした、という認識になる。では、改変後のデザインであれば、当初のコンペの結果が変る可能性はなかったのか?

そこまでの改変・変更であるとすれば、再度、検討するレベルの話ではないのか? そもそも、手を加える前提であれば、他の候補者案にも同様のチャンスはなかったのか。

そして、第四点目である。どのような指摘があがっても選考委員会としては「2位、3位のデザイン案への再考はない」という判断。そこでは「展開力」という言葉を繰り返し使い、佐野氏のデザイン案のすばらしさを主張している。

ようは、今回のエンブレム案の採択は、単に問題となったエンブレム1つの話ではなく、展開力を重要視し、全体を考慮したデザイナーとしての力量を評価した、ということになるのだろう。

すると、そもそも今回のエンブレム騒動への対処に対し、大きな疑問が発生する。

五輪エンブレムは、佐野氏の展開力を考慮したデザイン企画として、トータルな視点から採択されたのかもしれない。もちろんその条件には、誰からも愛されるデザイン、疑惑のない作り手という要素も入るだろう。例えば、どんなに素晴らしい展開案・デザイン案を「連続窃盗犯」が応募してきても、採択はしないだろう。

そう考えると、少なくとも現段階では、「サントリーのトートバック」デザインで、盗用/トレースの事実を認めた前歴がある。エンブレム盗用疑惑の有無以前に、現実問題として盗用の事実が発覚したデザイナーの企画を、組織委員会はなぜそこまで頑なに採用しようとするのか。様々に疑惑が騒がれるエンブレムに展開力など期待できない。

通常であれば、再公募でも、再デザインでも、次点繰上げでも方法はくらでもでもあるはずだ。「過去に何があっても、今回は話は別」という説明では、巨額な税金を投入されて開催されるオリピックだけに、一般の国民感情としてな、なかなか受け入れられるものではない。

国民感情に反してまでも、現在のデザインを維持しようする姿勢は、やはり多くの疑問・異論が出てしかるべきだ。オリンピックは私物ではない。これでは「組織委員会としての対応の悪さ」だけでは説明できない暗部を勘ぐられるだろう。

最後に、筆者のやや専門からの見地だが、会見に臨んだ日本グラフィックデザイナー協会・元会長で同会特別顧問でもある永井一正氏(エンブレム審査委員)の見解は、立場上致し方がないとはいえ、一貫して「デザイナー業界の理論」に徹しており、一般的な感覚からの乖離を感じた。

会見で永井氏は、佐野デザインについて、

「思想性、コンセプトが大事。美しさや造形性、オリンピックの場合はあらゆるところに使われるので展開力や拡張力が、エンブレムの条件。佐野さんのエンブレムはその条件を全て満たしている」

と述べた。確かにその通りなのかもしれない。しかし、その一方で、オリンピックとは、エンブレムに限らず、あらゆる構成要素がデザインや見た目云々以上に、誰からも愛され、そして受け入れられ、応援される、ということが重要だ。

ドーピングと同様、疑惑や疑念が出てこない、状況を含めたクリアな「美しさ」。平和と調和の象徴としての「美しさ」が不可欠だ。

「佐野エンブレムは(デザインとしての)条件を全て満たしている」のかもしれない。しかし、現状では、一番重要な「誰からも愛される」「世界中から応援される」という条件を満たしていないのではないか。

奇しくも舛添要一・東京都知事が28日の定例記者会見語った「残念ながら(エンブレムの)イメージも悪化している」が、最も素直な現エンブレムを受け入れられない庶民感覚を代弁しているように思う。

 

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藤本貴之(ふじもと・たかゆき) 東洋大学総合情報学部・教授(情報デザイン論・メディア構造論)/北陸先端科学技術大学院大学・教育連携客員教授/藤本情報デザイン事務所・執行役員/JAGDA正会員/最先端のメディア研究・メディア技術の知見から、アカデミズムの枠を超え、企業や自治体などを対象としたメディア設計や情報発信戦略など、数々の実践的なプロジェクトを手がけている。主な著書に『だからデザイナーは炎上する(中央公論新社)』『情報デザインの想像力』『脳にアイデアを思いつかせる技術(講談社)』『映像メディアのプロになる!(河出書房新社)』など、多数。