[茂木健一郎]<人工知能と人間の差>「きのこの山」と「たけのこの里」どちらが好きかを判定できるか?


茂木健一郎[脳科学者]

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これからは「正しい、正しくない」よりも、「好き」の方が大切なのかもしれない。その意味でFacebookの【Like(いいね!)】は先駆的だ。

「きのこの山」と「たけのこの里」どちらが好きかと聞くと、だいたい50%ずつになる。凄いことだ。チョコとビスケットではあるが、その構成の差に、はっきりと嗜好性が出る。

僕が子どもの頃、柿はとにかく硬いのが好きだった。母は、やわらかいのが好きで、「なんでこの美味しさがわからないのか」と言っていた。

確かに、やわらかく熟した柿が好きな人もいるのだろう。硬いのとやわらかいのは「どちらがいい、悪い」ではなく、嗜好性の違いである。

人工知能と人間の差は、ここに求めるしかないと思う。ビッグデータである評価関数を最適化するというタスクは、おそらくこれから人工知能にはかなわなくなる。しかし「たけのこの里」か「きのこの山」か、「硬い柿」か「やわらかい柿」かという選択肢は、評価関数では(おそらく)雌雄決着しない。つまり自分次第だ。

人生の選択肢は、たいてい、どちらに行っても評価関数上は変わらない。というか、決着はつかない。じゃあ、AかBか、どちらでもいいから選べ、という時に、Aを選ぶかBを選ぶか、という問題にこそ、その人らしさは顕れるのであって、これは人工知能では記述できない。

結局、好き嫌いの方が、正しい、正しくないよりも深い。

それは身体性に深く結びついているのであって、また、二度と戻ることのできない積み重ねでもある。どんな履歴にも、絶対的な理由などなく、理由はむしろあとづけ。

自分の「好き、嫌い」(特に好き)をぴかぴかに磨き上げることが大切だ。

そして、思うのだ。僕は「たけのこの里」や「硬い柿」が好きだけど、「きのこの山」や「やわらかい柿」が好きな人生を想像して見る。

なんだかわくわく、ふわふわする。自分の嗜好性がほんの少しでも違っていたら、と想って見ることは、おそらく、他のことよりも何よりも、自分の人生を揺るがす。根底からやさしく。

(本記事は、著者のTwitterを元にした編集・転載記事です)

 

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茂木健一郎

茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)脳科学者。株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所上級研究員。1962年10月20日、東京生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程終了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を出て現在に至る。「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究するとともに文芸評論、美術評論にも取り組んでいる。