<文房具コメディ?>劇団・ヨーロッパ企画「遊星ブンボーグの接近」のセンスと魅力

映画・舞台・音楽

齋藤祐子[神奈川県内公立劇場勤務]
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友人から面白いとすすめられて「ヨーロッパ企画」という劇団の公演を見た。今回は文房具コメディだ、という。はて、文房具? それだけ聞いても想像が及ばない。
舞台上には、右手に重ねられた巨大な数冊の本。そのわきにやはり巨大な文房具。入ってくる観客はほぼ同じ反応をする。思わずセットをまじまじと眺め、「どうなっているのか」と自席を通りすぎて、別アングルからも覗きこむ。でも、写真撮影は禁止。残念。
これらのセットは、正確に50倍の規格で拡大され、ところどころ商品名を削るなどの細かいアレンジをしている。・・・というのはアフタートークと称する雑談で知ったが、要するにさる人物の机上(それもノートPCの後ろ、埃っぽくて見捨てられている感のあるあたり)らしい。
オープニングの映像は、チープでレトロなアニメーションで、どこかの惑星からブロック型のこれもチープなロケットに乗って地球人から見ると小人のような人型の他星人の団体ツアーがやってくるまでをダイジェストで見せている。このショートフィルムが、なかなかかわいい。
ここ数年、この劇団は「企画性コメディ」というものをテーマとしているようで、これはある種のシチュエーション・コメディなのだが、そのテーマをかなり明確に限定するシリーズらしい。
今回、それが文房具。
文房具でコメディ? と思うのだが、コメディの作劇に慣れた劇団が作ると「それだけで、これだけ笑えるんだ」という好例となっている。筆者が観たのが最終公演近かったせいか、熱心なファンが「笑いに」きており、客席はほぼ2時間の間、爆笑に次ぐ爆笑だった。
前作の「ビルのゲーツ」はある種の不条理ものの感もあって、何を意図してつくられたかわからないクイズに翻弄されつつ、そこを突破するとドアがあき階段を上り、を延々繰り返す。そして生き残った最後の一人がたどり着いたゴールには、歓声も勇者のしるしもなく、ただ夕焼けが見える屋上しかなかった。
このオチには哲学的な印象もあり、何かの思想のようなもの深読みしてしまったのだが、今回はほぼ全編コメディ一色である。それがどうなのか、という感もあろうがそれをやろうとしているのだ、といわれれば、まさにその通りなのだろう。
コメディ作劇における、職人的な作り方、と考えれば、なかなか洗練されている。最近は、お笑いのジャンルから舞台公演に進出する人もおり(小林賢太郎、ムロツヨシなど)、そう考えるとジャンルによる境目は薄くなりつつあるといっていい状況だ。
となると、何がやりたいのか、コメディや笑いに対するセンスの良しあしはどうか、といった要素をシビアに見られている感はある。とはいえ、まだ観客層は演劇とお笑いでわかれているようではある。
オープニングの映像はじめ、このスクリーンが後ほどあっと驚く他星人と地球人との縮尺(大きさ)の違いを上手に見せる仕掛けになるのだが、特撮の工夫のような手わざの感触や面白さもあって、全編、肩の力が抜けていて、そしてセンスがいい。
現にこの劇団は映像作りもしているようで、舞台作品の映像化以外にもショートフィルムフェスティバルを開催したり、コントライブもやっているようだ。マルチで多彩、といってそれほどとんがってもおらず、しっかりとコメディを作っている。そんな姿勢に好感が持てる。
この劇団、京都を本拠地にしており、全国ツアーなどは年に1度の様子。お笑いライブにはいくけれど、演劇というとちょっとわからない、という人は、まずは舞台のDVDを見てみるのがいいのだろうか。笑いのつぼ、センスが合うと感じれば、舞台を一度見に行くことをお勧めする。
それから、この劇団の特色をもう一つ。
良質のコメディというと、職人芸のようなある種のワンパターンを感じるものだが、彼らが使うSF的な設定はその点ではパターンを広げられやすい。が、一方で、それはそれで、「あしらい」のうまい下手が露骨に見える。
SF的な設定というのは、甘く見ていると足をすくわれるところがあって、そのあたりに特撮の工夫めいた「そっちに時間を使うのか?」というリアリティの出し方、どの程度のリアルをどう担保するか、が重要になってくる。その結果が、意外とちゃんと作られていて、かつ、アフタートークを聞く限り「予算上のこともクリアしている」というセットなのだろう。
この舞台セットをみると彼らの職人的な本気度がわかる。逆に言えば、お金も時間もかかっている(全国巡回すると輸送費もかかる)のだが。
 
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