<「IPPONグランプリ」と「笑点」の違い>IPPONグランプリ優勝者に視聴者は誰も興味が無い


高橋維新[弁護士]

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2015年11月14日、性懲りもなく「IPPONグランプリ」(フジテレビ)が放映された。

「性懲りもなく」見ているのは筆者も同じなのだが、大喜利というお笑いのショウ自体が頭打ちになっているというのは以前も書いたことである(http://mediagong.jp/?p=9857)。大喜利に参加している芸人は楽しいのかもしれないが、それで客を楽しませることができなかったらただの自己満足である。

今回は、以前の原稿でも少し書いたのだが、大喜利番組の中でも「IPPONグランプリ」という番組に特有の問題点にスポットを当てたい。この問題点を、大喜利番組の金字塔として君臨し続けている「笑点」(日本テレビ)と比較しながらできるだけ分かりやすく説明したいと思う。

「笑点」は、明らかに高齢者向けの番組作りをしているため、一つ一つのボケは分かりやすい。分かりやすい代わりに、尖ってもいない。そのため、個々のボケの質(と、お題の質)は「IPPONグランプリ」の方が高いと考えてよい。

それでも、全体に渡るフォーマットは、50年続いている笑点の方が確実に優れている。だからこそ、50年も続いたのである。以下、一つずつ述べる。

1.解答者の優劣

「IPPONグランプリ」は、解答者の優劣を決めている。最終的に、一番優れている人を優勝者にしている。むしろ、大喜利本番よりも優勝者が誰になるかの方に主眼が置かれている感さえある。

「笑点」ではそんなことはない。座布団を10枚集めれば賞品がもらえるが、その賞品も基本的にはネタに走ったものであり、笑いを生み出すための装置でしかない。

大喜利は、お笑いのショウである。視聴者に笑ってもらうことを至上命題としなければならない。大喜利を通して、おもしろい答えが出て、視聴者を笑わせることができれば、最終的な優勝者が誰か、誰が一番優れていたかなんてのはどうでもいい問題のはずである。

「笑点」のように、それによって笑いを生み出せるのであればそこに時間を割いてもよいが、「IPPONグランプリ」の優勝者が決まった瞬間やそれを祝福する瞬間はちっともおもしろいものではない。そこに尺を割くのは、無駄である。

「M-1」や「R-1」、「キングオブコント」のような賞レースの番組と、全く同じ問題点が出ているのである。

何でそこまでして優劣をつけたがるのだろうか。芸人たちが優勝して嬉しい思いをしたいのだろうか。カッコつけたいのだろうか。自分がいい思いをしたいためだけに客をおもしろくない時間に付き合わせているのだとしたら、プロの風上にも置けない。

芸人は、客を笑わせて溜飲を下げるよりないのである。

2.解答の評価

「笑点」では、ひどい解答は座布団を取り上げる。スベった解答については、座布団を取り上げてやれば、それが「お前はスベっている」というツッコミとして働くため、そのスベリも笑いに昇華することができる。

ところが「IPPONグランプリ」ではこういうシステムがない。解答に対しては、点数が視覚化されるだけである。スベった解答はスベったまま放置される。ツッコめる人もいない。周りの芸人は大喜利に集中しているためツッコむ余裕がない(そもそもそういうものにツッコんで笑いをとるのも後述するような「邪道」として忌避されているため、ツッコもうとしない)。

MCはアナウンサーであるため司会進行以上のことをしない。松本はツッコむことがあるが、その声は会場には聞こえない。

一応、0点の回答であれば、「0点のまま放置される」ということが微弱なツッコミにはなっているが、微弱でしかないため視聴者にツッコミとしては認知してもらいにくい。

3.解答者の姿勢

結果、スベった場合は自分でフォローできないとスベるだけで終わるため、芸人がスべることを忌避する。

そうなると、「スベリ笑い」が生まれにくくなる。笑点には、木久扇という明確なスベリ枠がいて、彼がわざとスベるようなことをよく言っており、歌丸が呆れ気味にツッコんで笑いを生んでいるが、そういう形での笑いが生まれないのである。

そして、スベリ芸の笑いは、正統なボケの笑いとは種類が違うのでアクセントになるのだが、IPPONグランプリではそれがないために笑いが一本調子になる。

また、スベリ芸に類似の邪道な笑いも忌避されている。「笑点」では、やっぱり木久扇がよくやっているのだが、答えを忘れる、カむ、お題と関係ない歌を歌い出すなどといった正統なボケとは異なるボケが繰り出される。

人のネタを丸パクリしたりもする。お題との結びつきが希薄な形で歌丸や山田隆夫をイジったり、独身の昇太を揶揄したり、たい平がふなっしーのモノマネを始めたりといったお約束のパターンもある。

「IPPONグランプリ」には、それがない。芸人はただただ与えられたお題に真面目に答えるしかない。ここに書いたようなパターンの違う笑いは、邪道として忌避される。「IPPONグランプリ」が、「大喜利の能力に優れている人を決める場」でしかなく、「お客さんを笑わせる場」ではないために起こる問題なのである。

こういう「邪道」に走ると、「大喜利技能コンテスト」が正しくコンテストとしての機能を果たせなくなるため、芸人たちも乗っからないのである。だから、笑いも「正統なボケ」を積み重ねていくだけの一本調子なものになるのである。IPPON調子か。

正統なボケしか出せないから、スベったらそのままになってしまうから、芸人が緊張する。緊張のために、肝腎の「正統なボケ」でも実力が上手く発揮できないという悪循環にもなる。緊張が客に伝われば、客も笑いにくくなる。

大喜利技能コンテストがやりたければ、誰の大喜利能力が最も高いかを決めたければ、勝手にやってくれればよい。「M-1」や「R-1」や「キングオブコント」と一緒である。そこに視聴者が付き合う義理はない。視聴者が見たいのは大喜利技能コンテストではなく、「お笑いのショウ」なのである。そこを、はき違えてはいけない。

視聴者は、誰が優勝するかにはあまり興味がないはずである。おもしろいものが見たいだけである。笑いたいだけである。だから、「優勝者は誰だ!?」と煽るような演出は全く不要である。視聴者の興味がないことを煽られても、白けるだけである。

今回の「IPPONグランプリ」でも見られたが、象徴的な演出として、画面右上に、サッカーの試合のように現在の状況を簡潔に知らせる小さな字幕が随時出るというものがある。「バカリズム 若林 タイ」「設楽王手」というような内容のものである。

これは、本来収録の「IPPONグランプリ」を、サッカーの試合のように生放送であると装っている時点で詐欺的である。ただ、そこは些細な問題である。

もっとも問題視すべきは、視聴者が興味がない「誰が優勝するか」に興味を持たせるような演出であるという点である。このような演出を入れているために、作り手が根本的なところをはき違えているのではないかと疑わざるを得ない。「リンカーン」(TBS)におけるヘタクソな編集に通ずるものがある(http://mediagong.jp/?p=12801)。

このままでは「IPPONグランプリ」も、松本が奇しくもこの番組で「微妙」と揶揄したリンカーンと全く同じメカニズムで、微妙なものになってしまう。というより、もうなっている。

もう一度言うが、視聴者はおもしろいものを見たいだけである。笑いたいだけである。それを大前提としたうえで、余計なものを一切削ぎ落した番組作りをしてほしい。

 

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高橋維新(たかはし・いしん)弁護士、コラム二スト。1987年、東京生まれ。2006年、東京大学法学部入学。2010年より「マヒ郎」のペンネームでファミ通町内会へ「ハガキ職人」として投稿を始める。現役ハガキ職人を続けながら、2012年に司法試験合格。2013年、弁護士登録(函館弁護士会)。ファミ通町内会長(第5代)。