グローバル化する落語は「著作権を共有する制度」を成立させられるか?


齋藤祐子[神奈川県内公立劇場勤務]

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日系英国人カズオ・イシグロのベストセラー「わたしを離さないで」がドラマ化されて放映されている。

話題になっていた割には視聴率が思わしくないようだが、作品の特異な世界観(主人公たちが育てられた全寮制の質素な寄宿舎の学園が、実は臓器移植のために作られたクローン人間の学び舎だったという内容)を、先行して公開された映画の影響もあるとはいえ、うまく表現している。

いくつかの印象的なシーンは映画のハイライトとも重なり、さて、どこまで異なる独自性をだせるのかは、今後の展開によるのだろう。徐々に明かされる彼らの数奇な、耐えがたい運命が小説世界では緻密な構成と圧倒的な筆力により描かれ、重苦しい圧迫感とともに迫ってくる。

こういった世界的なベストセラー小説の映像化は通常、作家のエージェントと連絡をとりその取決めに従って、規定の上演料なり著作権料を支払う。とともに、上演時の制約(多くは台本の事前チェックや概要チェック)を確認し、その指示に従う。

これは作者にもよるが、その段階で、あまりにも原作とかけ離れた演出プランの場合には許可が下りないこともある。

スティーブン・キング原作の映画「シャイニング」は有名。キューブリックの解釈が原作のもっとも重要な部分であまりに異なる解釈だったため、キングは批判を繰り返し、ついには自身でドラマ化まで進めることになった。

まれに、映像化や舞台化を自分の存命中は一切許可しない、という作家もいるため、世界的なベストセラーや話題作のすべてが映像化できるとも限らない。舞台化された場合、著作権とはまた別の上演権が発生し、せりふの改変や、使用する楽曲まで許可の範囲が及ぶ場合がある。

著作権の保護は必要ではある。とはいえ、極端な保護は映像作品や舞台作品の制作上の制約を生むため、作者の死後50年で著作権フリーになるということが通例だ。

しかし、近年その年限を延ばす動きが先進国にあり、様々な問題が指摘されている。また、グローバル化で海外の作品を映像化したり上演することが日常的に起こるようになると、2国間で著作権保護の条件が異なる場合、どちらにあわせるのかという問題も発生する。

先進国同士では相互条約が交わされていることもあっておおよその目安があり、著名な作家の場合、著作権を管理する事務所などがあるため話はつきやすい。

著作権の概要はかいつまんで言えばこの通りだが、翻って日本の伝統芸能、落語を考えてみるとその特殊さと巧妙な仕組みが浮き彫りになる。

そもそも「口演の芸」とされる落語家はプロになるには現役の落語家に入門する以外に道がない。そして噺と呼ばれる口演の芸=コンテンツ自体は、古典と呼ばれるものであっても台本が存在しない。どうやって習うかというと師匠からの口伝である。

修業を終えて、晴れて人前で口演をするようになると、今度は自分がやってみたいと思う噺があると、その師匠に教えを請い、噺を上げてもらう(その師匠の型、アレンジどおりに習い、それを師匠の前で口演してチェックしてもらう)。

その時にも謝礼金や権利料などの支払いはないが、ちょっとしたお礼(お金ではなく、手土産のようなもの。後輩から習う場合は商品券の場合もあるようだ)がなされる。

今現在、当たっている、受けているコンテンツをほぼ無料で分けてもらい、その通りに(あるいは多少のアレンジを加えて)口演していくことで、いわゆるめしのタネにするわけだ。落語自体が、確固とした台本がないため、落ち(サゲと呼ばれる、最後のアレンジ)の改変を含めてかなりの自由が演者に与えられている。

45分かけて噺を口演するのが通常のコンテンツでも、持ち時間によって枝葉をはらい短縮ヴァージョンにし20分に縮めたり、噺の一部のみ上演するなど相手次第、時間次第でどうとでもなる融通無碍な芸能ともいえる。

そこには落語家全員が一種のギルドのようなものだという前提があり、共有の財産を型どおりの仁義を切ってほぼ無料で共有する(そして、口演にあたっての心構えや技術を伝授することで質を担保する)という大きな合意ができているからだろうか。

新作にしても同様である。口演したいと頼まれたらおよそ断らないことになっているようだが、まれにはそりの合わない同士もあるだろう。その場合は、すでにその噺を上げてもらっている別の人から習うという手もある。

著作権管理の団体どころか、契約書も必要がなく、金銭のやりとりがないため税金もかからない。紛争処理の裁判や調停機関も弁護士も収入印紙もいらない。なにかもめごとがあれば当人同士で話し合う・・・と、まことに業界内で完結した無駄のないシステムともいえる。

最近はDVDなどで先人の話芸を見ることが簡単にできる。すでになくなられた方の芸などは受け継いでいる後継者から習うこともできるが、テープやDVDでよい部分を取り入れるならできなくもない。通常の例に倣えば、その人が亡くなって50年が国内法で言う著作権保護期間だが、さて、そういった常識の通用しない世界ではある。

とはいいながら、速記本しかなかった時代と異なり、これだけDVDや記録媒体が発達すると、いろいろな芸を生で見るのとは違うとはいえ、記録で追体験することができるようになる。自分が見聞きした先達の芸を踏まえて、古典落語に大胆な解釈を加えて自分の型やアレンジをしていく、ということは立川談志が始めた「落語の寿命を100年延ばした」といわれる業績の肝でもある。

落語の歴史が積み重なる中で、覚えておくべき先達の芸も増えていくが、その際、当人の後継者から口伝で習うか、ある程度の基礎知識を記録媒体で得ておくかというのも悩ましい問題とも言えよう。

近年、オリンピックの訪日外国人客をにらんで、あるいは日本の伝統文化の紹介という文脈で外国語の字幕付きで落語を上演するという試みも始められているようだ。春風亭一之輔がヨーロッパ数か国で日本文化に関心のある層に落語を紹介するツアーもその例だろう。

注意すべきは、海外進出をする際には、日本の同業者の団体だけで閉じていた世界ゆえに成り立っていた著作権の共有という制度が成立しない恐れがあるということだ。他にはない、日本の伝統でもある落語。

継承していくには、著作権を業界全体で緩く管理する現状のシステムが有効だったのだろうが、さて新作も多く口演されはじめるなか、外国向けとなった際には再考すべき点もあるようだ。業界全体で考えるに値するテーマだと思われる。

 

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齋藤祐子

齋藤祐子(さいとう・ゆうこ) 1984年、筑波大学卒。現在、文化施設に勤務。文化政策や現代美術、落語等の分野に関心が深い。