「M-1グランプリ」は深夜帯にこっそりやるようなコンテンツだ


高橋維新[弁護士/コラムニスト]

***

2016年12月4日の「M-1グランプリ2016」(テレビ朝日)を見て、言いたいことがある。何度も言っていることだが、改めて言う。

漫才というのは、固めた台本を覚えて、それを舞台上で再現するタイプの笑いである。いや、実はそんなことはないのだが、少なくともM-1で披露される漫才は、ほとんどが固めた台本を再現するだけのものになっている。

M-1では、ネタ時間が4分と短いこともそういう傾向に拍車をかけている。ガチガチに固めた台本を一字一句正確に記憶して、それを一字一句正確に喋るのである。完全に予定調和の世界であり、笑いで大事な意外性や奇襲の妙味が非常に生まれにくい。客も、「これからおもしろいものが見られる」と期待して、ハードルを上げてしまう。

だから、笑いの上限にどうしても(かなり手前の部分で)キャップがかかってしまうのである。

このようなキャップがあるからこそ、本来この種の固めのネタというのは、「それ以外にやりようがないときに仕方なくやるもの」だと筆者は考えている。固めた台本を披露するより、フリーでトークした方が意外な笑いも生まれる。場の空気や客の様子を見て話題を柔軟に変えた方がいい。コンビ以外の演者がいれば他のこともできる。

【参考】「ENGEIグランドスラム」は「芸人が自分で考えたネタを垂れ流す」だけの番組?

セットや小道具があればそれを使って笑いをとることも考えられる。「自分たちしかいないときにもしっかり笑いをとれる」というのは、それはそれで重要なことであるが、他のものが用意できる(=すなわち、「ネタ」より質の高い笑いが生み出せる状況にある)ときにわざわざやるようなものではない。

だから、M-1を始めとする賞レースの番組は、本来ゴールデンでやるべきではない。ゴールデンに時間と金をとれるのであれば、演者もセットも小道具も用意し放題であろう。ネタよりもおもしろい映像はいくらでも作りようがあるのだ。

若手芸人の中で漫才の技能コンテストをやるのは、若手の発掘や切磋琢磨による技能向上を図れるという意味では有用なことかもしれない。でも、コンテストはコンテストで公開せずともできるので、わざわざゴールデンに時間をとってやるようなことではない。ついでに一般公開しても構わないが、深夜や昼間にひっそりとやるべきだろう。

実際に今回一番おもしろかったのはフリーでその場の状況に即応してボケられる上沼恵美子と松本人志だった。芸人は、最終的にあの境地を目指さなければならない。

もちろんウケるネタがあるというのは、フリートークにおける武器がそれだけたくさんあることを意味するので、重要なことではあるが、それで満足してはいけないのである。

 

【あわせて読みたい】

The following two tabs change content below.
高橋維新(たかはし・いしん)弁護士、コラム二スト。1987年、東京生まれ。2006年、東京大学法学部入学。2010年より「マヒ郎」のペンネームでファミ通町内会へ「ハガキ職人」として投稿を始める。現役ハガキ職人を続けながら、2012年に司法試験合格。2013年、弁護士登録(函館弁護士会)。ファミ通町内会長(第5代)。