<稲田防衛大臣「虚偽答弁」を擁護?>「記憶にございません」は本当にあるかもしれない


安達元一[放送作家]

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稲田朋美防衛大臣の発言が物議を醸し出している。国会も、マスコミも、世間も、稲田大臣をなにやら嘘つきの悪者のように連日扱っている。

「記憶にない」というフレーズは、政治家が言動をごまかすための常套句のようにばかり映るが、はたしてそうと言い切れるのか。この観点から筆者の体験から稲田大臣を擁護してみたい。

3月15日の参院予算委員会での発言。森友学園の訴訟への関与を否定した国会答弁、その後撤回したことに関し、

「私としては自らの記憶に基づいて答弁した。虚偽の答弁をしたとの認識はない」

と述べた。「記憶にない」は、最近よく耳にするフレーズだ。例えば、元東京都知事・石原慎太郎氏の3月3日の記者会見でも、豊洲市場問題で「盛り土が行われなかった経緯は記憶にない」と発言があった。

さかのぼれば「記憶にない」は、1976年、小佐野賢治氏がロッキード社幹部との関係について「記憶にございません」を連発した「ロッキード事件」が有名だ。この年「記憶にございません」は流行語にもなった。

そもそも「記憶にない」は、アメリカが本家のようだ。「I don’t have any recollection about that」という言い方は、アメリカでは議会の証人喚問のほか、偽証罪に問われる危険がある裁判でよく使われているという。

さて、この「記憶にない」だが、多くの人が「マズイことを隠しているだけだ、言い逃れだ」と思うだろう。さらに、

「記憶がなければ、過去にやったことでも『やっていない』と言ってもウソにはならないのか?」

「では記憶がないなら、何をやっても許されるのか」

などと批判が増幅しそうな危険なフレーズでもある。

しかし、「この記憶にない」は言い逃れのためだけのセリフとは言い切れない。なぜなら、実際、筆者は25年の放送作家生活の中で、「この記憶にない」を実体験として経験したことがあるからだ。

1993年、筆者が企画書を作って始まった『発明将軍ダウンタウン』(日本テレビ系列)という番組がある。素人発明家の様々な発明品を品評したり、「知恵姫」という生活の裏ワザを紹介したりと、様々な企画をお送りしたのを記憶している。

そして、この番組が1996年からリニューアルされ、番組名も『ひらめけ!発明大将軍』となり、研ナオコさん・今田耕司さん・東野幸治さんに、なったそうである。

・・・「なったそう」という憶測的な書き方をしたには理由がある。もちろん筆者も放送作家として参加していた当事者でるのだが、この記憶がまったくないのである。

実はこの頃、筆者は「クモ膜下出血」という、脳の血管が破裂する病気にかかり開頭手術をし、生死をさまよっている。わかりやすく言えば、頭を開けられて、脳をいじられているのだ。

その影響だと思うのだか、局所的な記憶がいくつか、本当になくなっているのである。収録現場にも常に行って、放送まで毎週作業をしていた事が、この番組に関してまったく思い出せないのだ。(他にも、忘れてしまっている担当番組があるかもしれないが、「記憶がない」ので忘れたことさえ忘れているはずだ)

この様に「記憶にない」という状況は、本当に起こることなのである。

筆者も稲田大臣の「記憶にない」は、「ウソだよ、誤魔化しだよ」と最初は憤りを感じた。しかし自身の体験をふと思い出して、一概に否定するのは短絡的かなと思いとどまった次第だ。

実際に石原慎太郎氏は2013年に脳梗塞を患っている。ちなみに稲田大臣の病歴では脳疾患は確認できないが・・・。

自分の思うこと・考えることを盲信して、それと相容れない発言・考え方をする人を、頭ごなしに否定するのは、これこそ紛争の始まりだと思う。今回の稲田大臣騒動を見て、夫婦関係、人間関係、そして国際関係まで、相手の意見を一度受け止めてみる、多様性の容認を試みてみるのは、大切なことではないだろうかと気付かされた。

それにしても稲田大臣の発言・伝え方は、あまり褒められたものではない。

森友学園の籠池氏と最後に会った時期についても、稲田氏は「ここ10年来はお会いしていない」と主張している。しかし、籠池氏の妻・諄子氏の、

「2年前にですね、園長会議が自民党であった時にですね、いましたよ。私はあの人嫌いだから話ししてないんですけど、園長は話ししてましたよ(中略)ほんまに、おにゃんこちゃんですよ」

という発言に対して、15日の参院予算委員会で「奥様らしいなぁと思いますが・・・」と答弁しているという。

野党から「よく知ってるんじゃないか」とヤジが飛び、稲田氏が「申し訳ありません」と謝るシーンもあった。

【参考】<尾木ママのブログはただの暴力?>なぜ尾木直樹氏のブログは炎上するのか

そう考えると、「記憶にない」という現象自体は筆者の実体験として否定しないものの、稲田大臣の問題はそれ以外の部分にあるのだな、と感じてしまった。

現在、筆者が関心をもってることは、あらゆる問題や現象において「言葉の伝え方ひとつで、人の信頼と価値を変える」という事実だ。2〜3年前、『伝え方が9割』(佐々木圭一)という本がベストセラーになったが、このことに興味をもっている人は多い。

先日、筆者も著書『人もお金も引き寄せる伝え方の魔法』を上梓し、様々な事例を挙げて「言葉の伝え方」について分析をしてみたが、読者からのリアクションが予想以上に大きく、正直、驚かされている。誰もが「伝え方」に飢えているのだ。(言葉の伝え方の具体的な事例は、拙著『人もお金も引き寄せる伝え方の魔法』をご参照ください。http://amzn.to/2i58hQo

さて、本題に戻るが、稲田大臣の「記憶にない」を、虚偽と決めつけて責めることは容易だ。しかし、それを「本当に嘘である」ということを証明できる人はいない。

筆者も『ひらめけ!発明大将軍』は「記憶にない」が、これを「安達さん、自分の担当番組でしょ? 記憶にないなんて無責任だよ!」と責める人もいるだろう。しかし、本当に「記憶にない」のだから仕方がない。

筆者がそうであえるように、もしかしたら稲田大臣も「記憶にない」ことを責められて困惑しているかもしれない。だからこそ、稲田大臣を「記憶にない」発言からは責めるべきではないと経験者として痛感する。

責めるのであれば、その伝え方のあまりの「下手さ」であろう。

 

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安達元一(あだち・もといち)放送作家。1965年生まれ。バラエティ番組を中心に活躍する放送作家。株式会社モトイチエンタテインメント代表取締役。近年では教育ビジネスの分野でも活躍。一般社団法人ビジネスプロモーション協会理事。コンテンツブレイクスルーカレッジ主宰。アイデア工学Works主宰などその活動は多岐に渡る。第57回国際エミー賞入賞「たけしのコマネチ大学数学科」、第42回ギャラクシー賞テレビ部門大賞受賞「笑ってコラえて!文化祭 吹奏楽の旅 完結編 一音入魂スペシャル」、2007年国際平和映画祭JAPAN in こしの都、グランプリに当たる「こしの都賞」受賞「一宿一通」、処女小説「LOVE GAME」(幻冬舎)を上梓、読売テレビにて連続ドラマ化など。