<スタント・コメディアン『岡村隆史論』>運動能力で笑いをとれるコメディアンが指し示すバラエティ番組の命運


高橋秀樹[放送作家]
2014年1月7日

 

ナインティ・ナインの岡村隆史は現在では、数少ない「体技」のできるコメディアンである。「体技」とは、運動能力で笑いをとることである。

昔、コメディアンが体技で笑いをとることは必須条件であった。アメリカで、映画スタアとなったコメディアンはみな、売れない時期を旅回りのステージショウで稼いでいた。ステージ上には、マイクなどなく大きな声でしゃべるか、聞こえなくてもわかる「動き」で笑いをとることが必要だった。そこから無声映画のスターが生まれる。

バスター・キートン、チャーリー・チャップリン、ハロルドロイド、マルクス・ブラザース。無声映画はもちろん動きの笑いである。キートンは、爆走する蒸気機関車の屋根の上を自在に走りまわって落ちそうで落ちない笑いを作ったし(『大列車強盗』1926)、チャップリンは大きな吹き抜けのある2階のフロアで目隠しでローラースケートを披露した(『モダン・タイムス』1936)。

日本でもでも事情は同じだ。エノケンこと、榎本健一は走っている車の扉から出て反対の扉からまた入るという芸当ができた。ストリップ小屋のコント出身の萩本欽一の垂直ジャンプはNBA選手並みの70センチ近くあった。特筆すべきは渥美清で小さい動きで運動能力の高さを見せてくれた。縁側の障子のたての桟に、頭をもたせ掛ける渥美、敷居を障子が動くのでコケそうになる。あっとこらえて、体勢を立て直し、もう一度頭を持たせかけると障子はさらに動いてこらえきれずに、縁側から庭まで転げ落ちる(『男はつらいよ』)。

この動きを転げ落ちるだろうという気配を、見る者に感じさせずに演じるのだから渥美は相当な運動能力の持ち主だ。デビュー当初はバラエティタレントとして重宝されていたその渥美が、笑いの種類を喜劇一本に絞って、『男はつらいよ』に出演したのが1968年、40歳の時だ。俳優業一本に絞ろうという思いがどこから来たのか僕は知らない。

今回のテーマである岡村隆史も、渥美と同じ40歳の時に転機を迎えていたように見える。ちょうど40歳の2010年、岡村がレギュラー番組をすべて休養したことは記憶に新しい。休養直前の映画『てぃだかんかん 海とサンゴと小さな奇跡』の、岡村は演技開眼を思わせる出来だった。これにあのブレイクダンスさえ軽々こなす運動神経が加われば日本には、久しくいなかった「体技のできる喜劇役者」が華々しく誕生するのではないかと思ったものだ。

ところが直後に休養、その後、岡村が復活の舞台に選んだのは喜劇ではなく、バラエティ番組だった。その舞台であり、最も愛している番組であると思われる『めちゃ×2イケてるッ!』のなかで、岡村は相変わらず切れのいい動きで笑いをとる。ふなっしーの向こうを張るたかっしーの動きなどは岡村以外にはできないだろう。加藤浩次の力だけの動きとは別種の笑いのとれる動きである。

今年で18年目を迎えた『めちゃ×2イケてるッ!』は、パロディを信条として笑いを作ってきた。同じ「土曜8時」の『オレたちひょうきん族』をルーツとしてその文法を守ってきた。岡村が「土8、土8」とよく番組中、口にするのもその意識があるからだろう。しかし、パロディとは悲しいもので自分自身が大きくなると、パロディにするものがどんどん減ってゆく。自分より巨大なもの人気あるもの、権威あるものを茶化してこそのパロディだからである。

40歳の岡村がなぜ休養したのかそのきっかけも、その間の葛藤も僕は知る由もない。岡村もただ「頭がパッカーンとなった」というのみである。潔いことだ。わかっている事実は、役者としてではなく、バラエティ番組に戻ってきたということだけだ。かくなる上は、感動やグルメに走ることなく『めちゃ×2イケてるッ!』を、作る笑いの番組として続けていってほしいと願うのみである。

感動とグルメに走ったバラエティは自滅する。フジテレビは、「土8」を特番などで休みにしてはいけない。岡村隆史はこれからのバラエティ番組がどうなってゆくのかその水先案内人として最重要の人物である。

ところで、ふと思うことがあるのは、岡村は、相方、矢部浩之の元へ戻ってきたのではないか、ということだ。だとすれば……。