<タレント・マネージャーと政治記者が「偉そう」な理由>タレントがスターになるとマネージャーが自分も偉くなったと勘違いするメカニズム


高橋秀樹[放送作家]
2014年2月2日

根っからバラエティ、バラエティ一筋でずっと一線を張り続けている私より年上の放送作家は日本で2人しかいないと思っている。2人とも私の大恩人である。そのうちの一人の先輩が僕にこう聞いた。

「お前、報道もやってるよなあ。番記者っているだろ、あいつらなぜ偉そうなんだ」

私は即座に答えた。

「ああ、あれね、マネジャーと同じです」

「そいうことか」と、先輩のほうも即座に納得してくれた。

解説するとこうだ。マネジャーは、基本的にタレントより薄給である。しかもタレントより忙しい。流行りの言葉で言えばブラック企業に勤めている。長時間労働は当たり前、休みも何もあったものではない。そういう状況の中で、自分がついているタレントが売れてくると、つい勘違いしてしまう。タレントはスターになってスタッフにちやほやされているのに、この俺との差はいったい何だ。

そして、ある時スタッフにこんなことを言ってみる。

「うちのタレントにそんなことやらせられる筈ないのわかってんでしょ」

すると、スタッフは青ざめているではないか。

「そ、そうですよね。すみません」

そこで勘違いが発生する「(タレントだけでなく)オレもえらいに違いない」スタッフはマネジャーの向こうにタレントを見ているだけなことに気づかない始末の悪いマネジャーの誕生である。政治家と偉そうな秘書の構図は、ほぼこれと同じ。

番記者はちょっと事情が違うかもしれない。日本で一番偉い政治家である総理大臣の番記者は、たいてい入社1、2年の若い記者である。総理は忙しいから体力がないとついていけない。どこでもここでもついていくには若さが必要だ、テレビで見る会見でマイクを向けている記者はみな若いことに気づくだろう。もちろんインタビューとかはやらせてもらえない。

私の先輩が言った「番記者」という言葉にも誤解があって、おそらくこれは、政権党の担当などに長くついているの「派閥記者」のことであろう。記者は取材者であって、ずぶずぶの関係になってはいけないのだが、そこが人間の弱さ、自分が担当している派閥から大臣が出たりすると一緒に酒席に参加して、わがことのようにうれしくなってしまうのである。そして、おれも政治を動かしていると思い込んでしまうのである。偉そうな記者の誕生である。

そうなるとこの記者はもう権力の批判者であることをやめ、権力をふるいたくてしょうがなくなってしまうのである。いま「あの人」の姿が思い浮かんでいる人も多いに違いない。番記者のなれの果てがこうした偉そうな政治記者である。

では、マネジャーのなれの果てが何かというと、一部のタレント・プロダクションの社長たちである。制作者たる者、この人たちの発言にまともに付き合ってはならない。みな、利害に絡んだ発言なので、番組作りには何の役にも立たないからである。

マネジャーも政治記者も、正常な神経を維持している人がいるのはもちろんである。たとえば吉本興業のマネジャーは、絶対にタレントのカバンを持たないが、それはマネジャーの仕事ではなく、付き人の仕事だからである。マネジャーの仕事はタレントを作り上げることであるという意識が徹底している。だから、スタッフなどに対しては決して偉そうにはしない………。

……いや、だからと言ってタレントといっしょに「自分もえらくなった」と勘違いしているマネジャーがいないかというと、そうでもないところが「芸能界の面白いところ」とお茶を濁しておこう。