日本テレビ・ドラマ『コントが始まる』の劇中コントはどうなるのが良いか考える。

高橋秀樹[放送作家/発達障害研究者]

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2021年4月17日(土)ドラマ『コントが始まる』(NTV)の冒頭はコントから始まった。

コント『水のトラブル』。

ステージに現れたのは、春斗(菅田将暉)、瞬太(神木隆之介)、潤平(仲野太賀)の10年くすぶっているコントトリオ『マクベス』。そのコントを自宅のPCで見ている里穂子(有村架純)。1年半前に訳あって大手企業を辞めた里穂子は、上京して来た妹・つむぎ(古川琴音)と同居しながらファミレスで働いていた。偶然里穂子の働くファミレスに来店したマクベスの3人は、やがて常連客として定期的にファミレスでネタ作りをするようになった。日々は流れ、気づけば里穂子にとって、マクベスの存在は生きがいのようになっていた・・・。しかしある日、初めてマクベスのライブを訪れた里穂子を待っていたのはトリオ解散という重大発表だった。(公式HPより筆者が抜粋・要約)

・・・というような、すぐに分かるいわゆる青春群像劇。青春群像劇といえば世代によって、名前が上がる作品も様々だろう。代表的なものとしては、1975年『俺たちの旅』(日本テレビ)。中村雅俊(カースケ)、秋野太作(グズ六)、田中健(オメダ)、森川正太(ワカメ)、金沢碧、岡田奈々、上村香子らが出演する鎌田敏夫ほか脚本の名作である。小椋佳作詞・作曲の主題歌「俺たちの旅 (中村雅俊、歌唱)」を聞くだけで鼻の奥がツンとなる。

もうひとつは1983年『ふぞろいの林檎たち』(TBS)。三流大学生の中井貴一、時任三郎、柳沢慎吾、看護学生の手塚理美、石原真理子、一流女子大生の中島唱子、風俗嬢の高橋ひとみ、東大卒のエリート・国広富之らが顔を揃える山田太一脚本のテレビ史に残る傑作。主題歌はサザンオールスターズの「いとしのエリー」。

[参考]TBS『週刊さんまとマツコ』の逆張りに期待

他にも1986年『男女7人夏物語』(TBS)を自分たちの世代の代表という人も多いはずだ。こちらも脚本は鎌田敏夫。出演は明石家さんま、奥田瑛二、片岡鶴太郎、大竹しのぶ、賀来千香子、池上季実子。

さて、ここで、『コントが始まる』の主要出演者をもう一度あげる。菅田将暉、神木隆之介、仲野太賀、有村架純、古川琴音。

傑作と言われる前三者と比べ明らかに足りないのが、秋野太作、森川正太、柳沢慎吾、中島唱子、片岡鶴太郎に当たる俳優であろう。これらの俳優は時代のリアリティを担保する人物としてそれぞれのドラマに欠かせない人たちだった。が、今は菅田将暉、神木隆之介、仲野太賀といったイケメン揃いが「時代のリアリティ」であり、ブサイクは恋愛に登場すらできないということなのかもしれない。

そのイケメン3人が目指しているのがコント芸人である・・・というあたりも今を意識している。そこで、ドラマ冒頭に3人組マクベスが演じるコントが配されるのだが、このコントについてネット上には色んな違う意見が見受けられる。曰く。

「おもしろくない」

「コントの演技が上手だ」

「コント指導は受けているのか」(註・人力舎からコント監修の人がついている)

「コントの内容が、ドラマの伏線になっているのが気持ちいい」

「マクベスは、もともと10年間売れていないという設定なのだから、あまり面白くしてはだめ」

多種多様。しかし、コント作家である筆者はここで結論から言う。

「劇中劇で扱われるコントは面白くなくてはならない」

芸人、歌手、スポーツマンと言った人がだんだん上手くなっていき、成功するというドラマ映画は無数にある。その中で大ヒットした代表的なものを一つ挙げると『スタア誕生』(A Star Is Born) だろう。この作品は1937年、1954年、1976年、2018年と4回も作られている。皆それぞれヒットしたが、主演女優は古い順にジャネット・ゲイナー、ジュディ・ガーランド、バーブラ・ストライサンド、レディー・ガガである。メンバーを見てもわかるように、売れない頃は歌が下手だったのではない。上手だったのに何らかの欠点があって売れなかったのである。

『コントが始まる』は、おそらく、3話くらいまでは既に台本は出来上がっており、コントユニット、マクベスが売れるのか、解散の道を選ぶのか、それともどんでん返しの結末が待っているのか、それは知る由がない。だが、『スタア誕生』が示すように、歌にせよ笑いにせよ芸人は最初から上手なのである。あとから芸能人人生を振り返ってみれば、ああ、あのときだったか、というような微妙な成功のきっかけがあるのだと思う。

脚本がそれを描こうとしているのであれば「劇中劇で扱われるコントは面白くなくてはならない」のである。面白くないと見てくれないからでもある。笑えるからこそ、視聴者は『面白いのになぜだ?売れないのにはなにか深い理由があるのかもしれない」と思うのである。それこそが最大の伏線ではないのか。(余談だが、明石家さんまは小林繁氏のピッチングモノマネを封印したときが売れるきっかけだったと語ることがある)

その意味で、マクベスのコントは笑えないから、残念である。

なぜ笑えないか?伏線に引っ張られすぎて、コントとしての設定が甘い。コントと芝居はイコールであるが、俳優である彼らは芝居をしすぎている。普通にボーッと立っているときも芝居の姿になっている。コントが専門の芸人で立ち姿がどうにも決まらないのも問題ではあるが、芝居の姿が表面に出すぎるのも困る。

ビートたけしはかつてこんな事を言った。『オイラは芝居もできるけど、高倉健にコントはできないだろう』。そのビートたけしでさえNHK大河ドラマ『いだてん』での古今亭志ん生役はつらかった。(面白い落語が書かれていなかったせいももちろんある)

コントと芝居はイコールだが、表現形式は変えなければならない。結果的にできる時は、できない芝居を、その逆は、できる芝居をせねばならない。ということはマクベスは喜劇をやっている上手な無名の俳優さんが演じればいいと思うのだが、オーデイションシステムの機能しない芸能プロ独占の日本。しかも、そういうキャスティングでは企画が通らないだろうが・・・。(余談・元高倉健に心酔して付き人だった人がコント役者になったら、というのなら面白いか)

「コントの内容が、ドラマの伏線になっているのが気持ちいい」

この点を突き詰めるなら、これはマクベスの設定がコントユニットでなくても良かった。芸人がやる浮ついたコントに辟易として、ホントの喜劇をやろうと集まった3人組の小劇団という設定はどうだったろうか。自主公演は満席になるのに、メディアにはちっとも注目されない小劇団。それでいいと強がる小劇団。そういう小劇団も今のリアリティだと、下北沢に行く度に、思うのである。

 

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