<漫画『進撃の巨人』の完成度>おもしろいけど読者を不安にさせる完成度の低さ

高橋維新[弁護士]

『進撃の巨人』(作・諫山創)を読んでいると、不安に襲われる。
いや、おもしろいのである。おもしろいのだが、「ちゃんと最後まで話を考えてあるのだろうか」という不安に襲われるのである。
『進撃の巨人』は、連載という形態をとっている。連載という形態においては、一つの大きな話を細切れに少しずつ世に出していくことになる。無論、連載開始の当初から最後までビシッと話が組み立てられている場合もないわけではないだろうが、普通はそんなことはない。並の作家であれば、最後までストーリーラインをきっちりと組み立てたうえで話を描き始めるということはまずない。
仮に組み立てられていたとしても、描いているうちに「ここの話をこうしよう」だとか「今書いた部分の伏線を前に遡って張っておこう」などと思い付くのはよくあることである。
描き下ろしであれば、こういう変更は自由自在である。ところが連載だと、作品を細切れに少しずつ発表していってしまうため、発表された部分はフィックスされてしまい、後から変更するのは基本的にルール違反ということになる。そこに手を加えるのは、その部分をお金を出して読んでくれた読者に対する裏切りということになるからである。
ゆえに、連載で展開されるストーリーは、十分に練った描き下ろし作品のストーリーより、完成度の低いものになる。
お話を少しずつ細切れに発表するという連載の特性も、この完成度の低下を助長します。細切れに発表することができるから、最後までストーリーが練られていなくても、見切り発車でできている部分だけを発表するということが可能になるからである。
『MONSTER』や『20世紀少年』みたいな浦沢直樹作品を読んでみれば分かる。見切り発車を助長するという連載の問題点が如実に表れています。ストーリーが最後まで練られていない状態のままにスタートを切った挙句、グダグダと迷走を続けて、広げに広げたふろしきを一切畳まないままお話が終わっている。長崎尚志が入って、この浦沢作品の難点はようやく改善されました。『PLUTO』を『Billy Bat』を読めば分かるが、完成度の違いは一目瞭然である。
 
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