<映画「さようならCP」の見えざる敵?>「健全者幻想」は「差別される側」からは「甘美」に見える


原一男[ドキュメンタリー映画監督]

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さようならCP』(1972)の主人公で「脳性マヒ者(以下、CP)」でもある「横田弘」も「横塚晃一」も、とても頭のいい人なので“真綿が水を吸い込むように”私の言いたいことを感じ取ってくれた。

……と思っていた。

とりあえず、アジテーターとしては“合格”と安堵したのも束の間だった。伏兵が控えていることを気付かなかった私の“間抜けさ”が露呈することになった。

映画を見て頂ければ分かることだが、冒頭の撮影から、横田弘の「奥さん」である「淑子」さんからの“抵抗”が開始されたのだ。淑子さんにとっては、自分の“自慢”の夫が、“膝で歩く”などという“みじめな行為”をして欲しくないわけだ。淑子さんには、“膝立ち”で歩くという行為が、「脳性マヒ者にとっての“表現行為”である」という了解の仕方は受け入れられない。

撮影の初日、カメラを持って私は勇んで横田家の玄関でノックしようとした。その瞬間、淑子さんが「出ていきます!」と息子を連れて、飛び出てきたのだ。

いやあ驚いた。横田さん、これで、撮影を辞めるって言うかな?と一瞬懸念したが「僕、やるから」と頼もしい反応が返ってきた。そんないきさつがあって撮影が始まった。

その後も淑子さんの“抵抗”は続いた。それは映画を見て頂ければ分かることなので、ここでは触れないが、結局、横田弘は、淑子さんと私(たち)の間で板挟みになり、半年後、己の無力を告白してクランクアップになってしまった。

私は横田弘を半年掛けてアジッたわけだが、淑子さんとは全く会話をしたこともなかった。私の頭の中には、淑子さんこそが、コミューン「マハラバ村」の崩壊のきっかけを作った人である。いや、ハッキリ言えば、“敵”であるという意識が強くあったのだと思う。

淑子さんを強く惹きつけているものは、所詮、“健全者幻想”である、と思えてならないのだが、いや“幻想”であるからこそ淑子さんは吸い寄せられていく。“健全者幻想”って、差別される側から見たときに、甘美に見えるんだろう。その内実は空疎なのだが。

40年以上も前のことを思い起こしながら、こうして私は原稿を書いているわけだが、今、苦笑まじりに、しみじみ思う。

「オルガナイザーとしては、失格だなあ」

と。こうなると一見、成功したかに見えたアジテーションも、中途半端だったんだ、と認めざるを得なくなる。じゃあ、40年経った今、“こんな私”だが人間的にも成長したはずだし、オルガナイザーとしての資質を磨いて成長したのか?と問われると、

「いや、未だに未熟なままの私なんだなあ」

と、深いため息をつくばかり」である。

 

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原一男

原一男(はら・かずお) ドキュメンタリー映画監督。1945年生まれ。疾走プロダクション所属。1987年の映画「ゆきゆきて、神軍」は、ベルリン映画祭カリガリ映画賞、シネマ・デュ・レェール・グランプリなど、数々の賞を総なめ (奥崎謙三は、かつて自らが所属した独立工兵隊第36連隊のウェワク残留隊で、隊長による部下射殺事件があったことを知り、殺害された二人の兵士の親族とともに、処刑に関与したとされる元隊員たちを訪ねて真相を追い求める。) 小説家・井上光晴の晩年5年間を追いかけたドキュメンタリー映画「全身小説家」は、1994年のキネマ旬報ベストテン1位・日本映画監督賞、毎日映画コンクール日本映画大賞。