三里塚闘争はドキュメンタリー映画を「撮る側」が当事者の青年たちを闘いの中心へと育てた
原一男[ドキュメンタリー映画監督]
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ドキュメンタリー映画の場合、「撮られる側」の人たちより「撮る側」の方が、コトの本質をより的確に、理解、把握している、といったことが起こり得る。
撮る側にいるスタッフ自身が、自分たちの方が理論的に先行していると自覚している場合、カメラを向ける側の人たちに対してとる態度は、誠実に、丁寧に、状況の分析をし、議論し、コトの本質について、理論武装をリードしていく、ということになる。
決して、理解の劣った、遅れた人たちを教え導くという“奢った”態度をとることはない。闘うのはあくまでも当事者であり、スタッフが闘うわけではないからだ。もう少し詳しくいうと、撮る側の人たち、つまりスタッフは、コトの本質を抽象化して考えることが可能。あくまでも理論的に、思考を深めることができる。
それに対して撮られる側の人たちは、その現場=土地で、親の代からの生活者である場合が多い。ということは、様々な人間関係などしがらみに引っ張られることも多い。それが、理論だけを抽出して考えることを困難にさせる。生活の場でのアレコレの実感が大きく、理論のみを先鋭化させることに抵抗感を抱いたりする。
が、そんな摩擦も一時的なもので通過していける。
いや通過していかなければ「闘い」に負けてしまうからだ。ここで大切なことは「闘い」とはあくまでも、肉体=生活者的全存在を懸けて展開されるものだからだ。闘うためには、的確な理論がないと闘えない。理論武装は、とても大切だが、それ以上に「闘う主体」=「撮られる側の肉体存在」がないと「闘い」は成立しないのである。
日本ドキュメンタリー界の雄として、土本典昭と並び称されている小川紳介。その小川を父の如く慕う優秀な若者たちが小川プロダクションのスタッフとして結集していた。
その小川プロダクションの代表作である「三里塚シリーズ」。「作り手は、アジテーターであり、かつ、オルガナイザーでなければならない」という原理は、この現場でも生きていた。 三里塚では「成田国際空港建設に反対する闘争」が展開、公団側+機動隊と農民とが激しくぶつかり合い、双方から死者が出るほどだった。
闘いの主体を担った三里塚の農民たちが、闘いの始まりから、理論武装をしていたわけではない。
国家権力側の理不尽さに対する素朴な怒りから始まり、次第に憎悪をかき立てられ、やがて農民同士の団結が強化され、実際に体を張った闘いへと突き進んでいくことになるのだが、自分たちが闘うための意味について考えざるを得ない状況になった時に、小川プロのスタッフたちが、農民たちに対して、とりわけ三里塚の 「反対同盟青年行動隊」を担う青年たちに対して、「アジテーターであり、かつ、オルガナイザー」という役割を果たしたのだ。
前段の文章は、実は、三里塚における、小川プロのスタッフとやがて 「反対同盟青年行動隊」として闘争の核へと成長していく村の青年たちとの関係をイメージして書いたものである。
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