<「本来自分にあるはずだと思う才能」って何?>有能なテレビ番組ディレクターにはどうやってなるのか

テレビ

高橋正嘉[TBS「時事放談」プロデューサー]
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テレビ業界を目指してやってきた若者が、何の悩みもないまま有能なディレクターの育っていく、というようなことはまずない。一度は辞めようかと悩むものだ。辞めるというのは、会社を辞めてどこかに移るか、フリーになって個人でやろうか、などという選択肢も含まれる。
だからといって悩んだ人がこの業界から足を洗ってしまう、ということでもない。年月が経つうちに悩んでいられるほど暇ではない現実に追い立てられ、問いを忘れてしまうか、辞めた後の現実を知るにつれ悩むことをあきらめるというようなことがあるかもしれない。
辞めるかどうか悩む人は結構いても、結局、悩みは長続きしない。これまではそうだった。
かつて、やはり辞めるか悩んでいた人間がいた。勿論、彼は辞めなかった。だから今もこの業界にいる。今はその頃考えもしなかった音楽ものを中心に番組を作っている。だが、その頃の悩みが薄っぺらであった、というわけではないだろう。本当に悩んでみたのだろうと思う。
悩みは「もっと自分に向いている番組があるはずだ」というものだった。大体、テレビ屋は忙しい。本来自分がやるはずだと思っていることではないものをやらされる。それが続くと、自分の才能が擦り切れていくように思ってしまう。たぶんこういうことなのだろう。
だが、周りから見れば、その人が「本来、自分にあるはずだと思っている才能」とやらにお目にかかっていない。お目にかかっていないから、擦り切れるも何もない。

「何言ってるの? やりたいことがあれば企画書にでもまとめてみろよ」

ということになる。
彼はその悩みを訴えた。そして、

「辞めないほうが良いと思うよ」

と説得されてそのまま仕事を続けて十数年経った。今、ここで辞めなかった方が良いか、辞めた方が良いかという設問をしたいわけではない。「本来自分にあるはずだと思う才能」について考えているのだ。それができない「擦り切れ感」について考えたい。
今。彼は音楽番組をやっている。では自分が才能を生かす番組、本来やりたかったのが、この番組だったのだろうか? ただ、「辞めたい」と言いだした時、音楽番組の話は出なかった。ということは、「辞めてまでやりたい番組」とは音楽番組だったとも思えない。
他に何かあったのか? それは何だったのか?
テレビの業界に入った若者が一人前の制作マンになるにはどういうプロセスを経るのだろうか? はじめから有望な若者が入ってきて、その若者がスムーズに有能な制作マンになっていくというようなことは実は少ない。
運もあるだろう、関心のあるテーマを担当し興味を持ち、それが評価されるというようなこともあるだろう。性格の合う人が評価してくれてうまく行くというようなこともあるだろう。
カリキュラムがその若者向けに作られているというようなことはない。切磋琢磨し、生き残ったものが番組を作っていくのだ。そんな乱暴な方法論しかなかった。
今、そんな彼も周囲からは頼られている。音楽番組は専門職である。専門知識や専門の人間関係が必要である。たぶんもう手放すことは無いだろう。かつてより忙しい。だが「擦り切れ感」もなさそうだ。
ポイントはこの「頼られる」ということにありそうだ。「頼られる」ということが何より大事なのだ。そこに達成感がある。頼られていれば「擦り切れ感」はなくなる。
経験と自信は人を強くする。好きなことでも、文句ばかり言われ続ければ本来やりたいことになっていかない。本来やりたいこと、それは頼られる立場で番組を作ることなのだ。それが何より楽しい。経験はどんどん人を変えていく。
だからテレビ番組作りは楽しいのだ。
 
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