<辞めた理由は「テレビがつまらなくなったから」>有能なディレクターは「不必要なモノにかける努力」に徒労した
高橋正嘉[TBS「時事放談」プロデューサー]
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情報を上手に生かしている番組は珍しい。
そのネタに対して知識のない人に、「これ知ってますか?」と教えるような情報の出し方しか知らなければ、おのずと番組の作り方は限定されてしまう。知識のある人にとって見れば既に知っていることだから、「なんと陳腐な番組か?」と思われてしまうこともあるだろう。
「多いか少ないか」はあるが、大概の情報は「知っている人がいる」と思ったほうが良い。そう考えると、多かれ少なかれ、番組の「どこか」は捻らなければならない。かといっても、最初から捻ってしまえば、その情報を知らない人にとっては何のことかわからなくなってしまう。その辺の「さじ加減」が難しい。
だからこそ、そういう部分を上手にコントロールしている番組があると、見ていても飽きない。
かつて放送していた「ブロードキャスター」(1991〜2008・TBS)では、「その辺のさじ加減をうまくやろう!」という野心があった。「話題になっているトコロとは少し違うトコロ」に着目し、意外なトコロを深彫りしてあり、「これはうまいな」と思うようなことが結構あった。
しかし、時事ネタの場合は難しい。
ニュースの「なぞり」はもう見たよ・・・と言いたくなるものだし、「なぞり」が無ければ、元のニュースを知らない人は「もっと説明してよ」ということになる。番組の成功には、この加減が本当に重要だ。当時「セブンデイズ」というコーナーを立ち上げたディレクターがおり、この人はそうしたセンスに優れた名物ディレクターだった。
彼はニュースをよく見ている人だった。しかし、自分ではその通りには編集しなかった。ニュースを見ながら「こんな素材があるはずだ」ということを、きっと常に心に留めておいたのだろう。
手を抜いているわけではないのだろうが、そのディレクター氏は、なかなか会社では捕まえられなかった。彼を探して会社のいろいろなところに電話をしてもいない、ところは、まだ夕方6時にも関わらず、その時「局家で風呂に入っていた」などという冗談のようなことも何度かあった。
だが、彼には現場で何度も助けられた。彼は「こんな素材」や「あんな素材」が「どこ」にあるのるかを知っているのだ。「ワンソース・マルチユース(ひとつの素材の使いまわし)」がずいぶん叫ばれ始め、独自素材がどんどん少なくなっていった頃だ。どの番組も「同じようにならないようにする」ためには「最初の取材テープ」を探し、新しい視点で編集をしなおさなければならない。そんな時は、彼に聞けば有力な情報が得られたのだ。
しかし、よく考えれば、夕方には帰宅して風呂に入っているような人です。社内の素材を全部を見ることなどはとうてい出来ていないはず。それでも、彼が素材の情報をよく知っていた理由は、「いらない素材」を「見ないこと」にかけて長けていたからであろう。
見るのは「必要な素材」だけだ・・・これは簡単なようで、非常に難しいことだ。「使わない素材」を使わないことを説明するために見始めたら、結局、すべてを見なければならない。「いらない」ということを説明するのは、結構難しいことだ。
その後、このディレクターはいろいろな番組で数々の名作を残したが、結局、テレビの世界を去ってしまった。その時、何度か話をしたが、理由は「テレビがつまらなくなったから」ということだった。それを聞き、筆者は彼を引き止めることが出来なかった。
その反面で、彼にとって「いらないことを説明するために、見なければならない努力」が増えすぎたからではないのか?とも思った。意外なモノを深彫りするためには「必要のないモノを捨てていく作業」が必要だ。そこに徒労を感じていたのではないか。
彼は人と違うものを「深彫り」したかったのだ。別に「大ドキュメンタリー」にする必要はない。視点のはっきりした「捻り」がしたかったのだ。そういった部分には「新しい情報」が必要であり、それこそが情報の面白さであるからだ。その視点があれば、素材から新しいものが見つけ出せる。
「不必要なモノにかけなければならない努力」がいかに人を傷つけていくか。それがなくなれば、テレビにも面白いものがまた生まれるかもしれない。「テレビは捨てたものではない」という考えも、また生まれるように思う。
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