Mr.マリックは超能力とマジックを越境し、<超魔術>という独自の“防空識別圏”を生み出した

テレビ

ホンマシュウジ[テレビ・プロデューサー]

 
筆者は、80年代以降「マジック・超魔術」のスペシャル番組や「超能力もの」と称されるシリーズ番組、「謎もの」と称される、いわゆる「不思議もの」をテーマに据えた番組を数多く手掛けてきた。
かたや、タネも仕掛けも存在する「不思議現象を楽しむ」ショーであり、かたやタネも仕掛けも存在しない、人間の潜在能力に関わる「未知能力という視点から不思議現象を追求する」ドキュメンタリー番組である。
場数を踏んでいるということは幸いなことで、このジャンルに関しては、国内の各キー局はじめ海外のテレビ局からも、ことあるごとにお声を掛けていただき、企画等でご協力させていただいている。
そのような中、テレビ関係者はもとより、自然科学の研究者、心理学の研究者、医療現場の方々からも「本当のところはどうなんですか?」という問い掛けを長年にわたっていただいている。機会があるごとに、私見をお話ししてきたが、今回、メディアゴンで綴ってみることにする。
さて、昨年末から、今年にかけて、NHK-BSと地上波(NHKスペシャル)で超常現象をテーマにした番組を立て続けに放送した。ご覧になった方も多いと思う。先月の段階で、オンデマンドの視聴ではトップだったとのこと。
実はNHKが超常現象を扱うのは、今回が初めてではない。1986年に「サイエンスQ」という科学番組で、「中国気功」を特集したことがある。
この時の内容は結構センセーショナルなものだった。スタジオに登場した中国人気功師が、なんと気のパワーでロウソクの火を消すというパフォーマンスをやってのけたのだ。当時は、中国情報が改革開放の波に乗り、続々と諸外国に発信されていたころだった。NHK科学班が制作したこの番組が国内の科学者たちに与えた影響は大きかった。
東洋的世界観を理論的バックボーンに持つ“中国気功”が、西洋的世界観を背景とする近代科学に一矢を報いるきっかけとなるかも知れないという期待感が高まったらしい。
60年代、アメリカのトマス・クーンによって提唱され、70年代以降のニューエイジ運動に多大なる影響を与えたパラダイムシフト論が、「気を科学する」ことによって、いよいよ証明されるかもしれないという期待だった。
80年代の後半から95年までは、精神世界あるいは、スピリチュアルというジャンルが表に顔を出し始めた時期だった。
NHKが、次にこの手のテーマを扱ったのは、何と教育テレビだった。
来日中のコリン・ウィルソンと立花隆氏が対談する番組で超能力を話題にすることになった。担当者からの依頼で、私が制作した超能力番組の一部の映像を提供し、TBSの番組名クレジット入りの超能力シーンが、NHK教育テレビで放送された。
80年代~90年代前半の頃は、普通は、非科学的、疑似科学と言われたジャンルが、日の目を見るきっかけを求めて、バブル景気を背景に一斉に噴き出した時期だった。
<宇宙意識を経営に生かす>といった経済人・文化人の集まりが定期的に開催されたのもこのから頃だ。また、著名な大学教授や文化人・芸能人が九州のとあるスナックに殺到し一部で話題になった。大手電機メーカーの創業者が自家用ジェット機で駆けつけ、スナックのマスターが繰り広げる超常現象の世界に酔った。
その大手電機メーカーでは、創業者の肝いりで、超能力研究室が設置され、一世を風靡した。数々の宗教団体が勢力を伸ばしたのもこの時期だった。まさにバブルだった。
一方、テレビの世界では、タレントだけではなく、一般視聴者を巻き込んで番組に参加させる演出手法が「たけしの元気が出るテレビ」で成功し、またノンフィクションという新しい概念のジャンルがTBS「そこが知りたい」あたりから一般化した。
嘉門達夫の「ゆけ!ゆけ!川口浩」という歌が大ヒットした。人跡未踏の地に入る探検隊を、なぜカメラが待ち受けているのかという素朴な疑問を歌にぶつけ、従来の演出技法を茶化した。「追いカメ」という、レポーターの背後からカメラが追う演出手法が定着してきたのもこのころだ。
テレビが登場して30年の時を経て、作り手も視聴者も新しいものを求め始めたころだったと思う。
そんな世相を背景に、登場したのが<超常現象モノ>だった。
そのきっかけがNHKの科学番組「サイエンスQ」だったと私は思う。70年代に、ユリゲラーがスプーン一本で2時間の生放送を支えた<見世物としての超能力>コンテンツではなく、<科学でどこまで解明できるか>という新しい切り口を、NHKは提示したのだった。そのNHKの姿勢をすぐさま取り入れ、実践したのが民放各社だった。
まずフジテレビが中国最強の超能力者と称された張宝勝に切り込んだ。続いて日テレが超能力姉妹を追った。ところが、民放は、科学的追求の可能性をすぐさま捨て去り、インチキ暴きに血道を上げ始めた。能力者を追い込み、インチキを誘発し、隠しカメラで撮影するという手法が流行した。
視聴者は、<あーやっぱりインチキだったんだ>ということで安堵し、インチキを突き止めたテレビに喝采を送った。一方、詐欺まがいの“能力者”のために被害者も出た。また、その陰でテレビに踊らさせれ人生を狂わされた能力者もいた。
しかしテレビ業界は、超常現象を世にだし、科学的追求という見方を提示し、最後は、インチキを暴くという手法で、3度オイシイ思いをした訳である。
この時期、私は、世の超能力ブームをしり目に、特段興味も持たず、海外ドキュメンタリーやグルメ料理番組などに明け暮れ、その傍ら年に1、2度の「マジック特番」制作を堪能していた。
その当時のマジック番組は、いわゆる古典的な手品とイリュージョンと呼ばれる派手な大仕掛けのマジックを見せるという実に和やかなものだった。贔屓目に見てラスベガスのショーのような構成であり、端的に言うと寄席の演芸中継的の延長だった。
86年頃だったと思う。番組の新機軸を求めてアドバイスを求めたのが当時、国会図書館勤務の傍ら数々のマジック研究書を世に出しておられた日本マジック界の重鎮、故高木重朗先生だった。先生は、すぐさまある男を紹介してくれた。その男に会うため、私は六本木のクラブを訪れ、衝撃の体験をした。
その男は、各テーブルを回って、目の前でマジックを見せ、喝采を浴びていた。店内が暗いので何が起きて盛り上がっているのは不明だ。その男がようやくテーブルにやって来た。コイン・マジック、トランプ・マジックなどを見事に披露してくれた後、「お部屋のカギか何か、持ってまいせんか?」と私に尋ねた。
自宅のカギをキーホルダーごと渡すと、一番頑丈な玄関のキーを左手でつまんで、右手の人差し指で擦り始めた。
あっという間に、頑丈な玄関のキーが直角に曲がってしまった。

「え?超能力ですか?」
「いいえ、違います。マジックです」
「でも、仕掛けが分からない!」
「トリックとマジックを融合させたのです」
「・・・お名前は?」
「マリックです。Mr.マリックと申します」

これが私とMr.マリックの初めての出会いだった。
この男、Mr.マリックこそが 、それまで超能力とマジックが暗黙の裡に設定していた“EEZ(排他的経済水域)”をすんなりと越境し、<超魔術>という独自の”防空識別圏”を設定したのだった。
 
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