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ライフハック
Author : 原一男
<映画「さようならCP」の見えざる敵?>「健全者幻想」は「差別される側」からは「甘美」に見える
原一男
2014年11月9日
『さようならCP』(1972)の主人公で「脳性マヒ者(以下、CP)」でもある「横田弘」も「横塚晃一」も、とても頭のいい人なので“真綿が水を吸い込…
<障害者が健常者にカメラを向ける>「撮る・撮られる」の固定した関係が生み出す「差別の構造」を壊す
原一男
2014年11月2日
『さようならCP』(1972)の主人公の一人・横田弘の元に通って懸命に口説くが、容易に「うん」とは言わない。彼が、気易く、うん、と言わないのも無…
<障害者夫婦の権力関係>脳性マヒ者たちのコミューン「マハラバ村」はなぜ崩壊したのか?
原一男
2014年10月27日
脳性マヒ者たちのコミューン「マハラバ村」が崩壊、解体へと突き進む。そのきっかけを作ったのが、他ならぬ「さようならCP」(1972)の主人公の一人…
映画『さようならCP』の主人公に出会った脳性マヒ者たちの解放区「マハラバ村」
原一男
2014年10月20日
“ドキュメンタリーの監督とは、アジテーターであり、かつ、オルガナイザーでなければならない”この先人の教えを私なりに実践したのが、疾走プロ第一作「…
<人間たちをドキュメンタリーで描く>小川紳介監督の「映画を作る態度」「覚悟」「美学」
原一男
2014年10月13日
(これまでの連載記事)小川プロの、というより小川紳介監督の「作品を作る態度」「覚悟」「美学」といったことに、もう少し触れておきたい。山形での2大…
ドキュメンタリー映画とは「相手に撮らせてもらう」のか?「相手を撮ってあげる」のか?
原一男
2014年10月6日
ドキュメンタリー映画監督・小川紳介(1935〜1992)率いる小川プロダクションの「作品を作る態度」「覚悟」「美学」といったことに触れておきたい…
三里塚闘争はドキュメンタリー映画を「撮る側」が当事者の青年たちを闘いの中心へと育てた
原一男
2014年9月29日
ドキュメンタリー映画の場合、「撮られる側」の人たちより「撮る側」の方が、コトの本質をより的確に、理解、把握している、といったことが起こり得る。撮…
ドキュメンタリー監督とはアジテーターでありオルガナイザーでなければならない
原一男
2014年9月20日
日本のドキュメンタリーの基本的な態度は、“共生”であるというのが筆者の見方である。この“共生”は奥が深い。以前も言及した「水俣ー患者さんとその世…
ヴェネチア国際映画祭・金獅子賞『ローマ環状線めぐりゆく人生たち』に込められた監督のメタファー
原一男
2014年9月13日
『ローマ環状線めぐりゆく人生たち』。ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞したドキュメンタリーである。ヴェネチアでドキュメンタリーが最高の賞を獲得…
<原一男の極私的ドキュメンタリー試論>日本のドキュメンタリーに「客観的で中立の立場」などはない?
原一男
2014年9月6日
「アメリカのドキュメンタリーは、とにもかくにも相手に対して“批評”、“批判”というキーワードだ」と、前回の記事()で書いたが、そのドンピシャリの…
<原一男の極私的ドキュメンタリー試論>日米欧それぞれにあるドキュメンタリーの流儀
原一男
2014年8月30日
せっかく、いただいた良い機会なので私の人生の最も多くの時間、関わってきたドキュメンタリーというものについてアレコレ考えてみたい。考えてみたい課題…
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