<高市大臣「公平性を欠く放送局は電波停止」>放送法「公平中立の原則」を撤廃した方がテレビは面白くなる?

社会・メディア

メディアゴン編集部
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放送行政のトップである高市早苗総務大臣(55歳)が2月8日の衆院予算委員会にいおて、「放送局が政治的な公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合、放送法4条違反を理由に、電波法76条に基づいて電波停止を命じる可能性」に言及した。

「行政が何度要請しても、全く改善しない放送局に、何の対応もしないとは約束できない。将来にわたり可能性が全くないとはいえない」

日本の放送行政は欧米のように政府から独立した機関ではなく、大臣が直接担当する。NHKは予算を国会に握られている。その大臣が電波停止に言及するというのは、著しく政治的公平性に欠け、憲法で国民に与えられた表現の自由に反する。
「政治的公平を判断するのは大臣だ、大臣は電波も止められる」というのはそれこそ、介入である。政権与党の大臣が放送の政治的公平を判断する行為とはいかなる政治的公平なのか。

「かつて米国でも『公正原則』は採用されてきた。ところが、政治家などが介入することで言論を抑圧する結果を招きかねないとして、1987年に廃止された」(2月10日・朝日新聞 慶応大学教授 鈴木秀美氏)

そこで高市総務大臣に言いたいことは、日本においても米国にように、

「放送法第四条二項 放送事業者は(中略) 政治的に公平であること」

というこの項目の廃止だ。そうなれば、憲法のことなど気にしないで介入し放題だろう。
逆に、放送局だって、もっとおもしろおかしく政治を扱うことが出来るようになる。そもそも、政治を興味深く扱えないから、国民が政治に関心がないという面もある。
高市大臣の発言で「放送の報道現場が萎縮してしまう恐れがある」などという議論があるが、そんなことを心配する必要はまったくない。日本テレビの現場は、もうこれ以上ないぐらいに既に萎縮しきっている。
「報道は権力の監視機関である」などという議論もあるが、それは腐敗しない権力が歴史上存在しなかったからであるにすぎない。しかし、多くの国民からしてみれば、「権力を監視して下さい」などと放送にお願いしたことはかつてあっただろうか。
そう考えれば、テレビに国民が期待してくることは、「権力の監視」などといった高邁なことではなく、むしろ「面白く(魅力的に)政治を伝える」ということであるように思う。もちろん、萎縮さえしなければ、テレビにその役割は期待できる。また、それを作る実力もあるような気がする。
そうやって放送の政治報道が面白くなった例なら、アメリカにある。
1987年、アメリカの公正原則の廃止の背景には、音楽や映画まで傘下にしてメガメディアとなったアメリカの4大ネットワークが、衰退し始めたとからいう理由もある。「俺たちに政治をもっと面白く伝えさせて下さい」そういうロビー活動が実ったのだ。
さて、放送の公正原則を廃止したアメリカの政治は、その結果「おかしな方向」に行ってしまっただろうか? その判断や認識は人によりけりであろうから、あえて言及はしない。
しかし、アメリカのテレビの政治ショウは、大統領選を控えてますます面白くなっている。政治の話題は、合衆国民ならず、世界中の人たちからの関心も高いのだ。
 
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