<パラリンピック報道の氾濫に危惧>パラリンピアンは一握り、大多数の障害者は「ごく普通の人」
高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]
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2016年4月1日「障害者差別解消法」が施行された。こういう法律が出来るということは差別は厳然としてあることの証左である。
障害者差別解消法というのは以下のような法律である。
「正当な理由なく、障害者へのサービスを拒否したり制限したりすることを禁ずる。障害者から意思表明があれば、負担になりすぎない範囲で、社会的障壁を取り除くための『合理的配慮』の提供も義務づけているが、公的機関は法的義務、民間は努力義務だ」(4月6日付・朝日新聞朝刊から引用)
障害者には身体障害者、精神障害者、発達障害者があるが、障害者手帳には身体障害者手帳、療育手帳(知的障害者用)、精神障害者保健福祉手帳があり、発達障害者は精神障害者保健福祉手帳の範疇であり、分離すべきであると言う人もいる。
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さて、上記の朝日新聞で東京大学先端科学技術研究センター・福島智教授がインタビューに答えている。福島氏は盲聾者(deaf-blindness)でもある。
福島氏は今回の法律施行について、「未来に開かれた法律として評価する」としながらも、いくつかの懸念を述べている。その意見を要約抜粋すると以下のようになる。
- なにが合理的配慮にあたるかの規定が抽象的である。(中略)コストのかかることは無理しなくていいと定めているからサービスや支援が低いレベルで平重化される恐れがある。
- 障害者側に差別を申し立てる責任がある点もしんどい。交渉が上手な人とそうでない人で障害者間の格差が広がりかねない。
- バリアフリーという言葉は定着したけれど、真の共生社会(※筆者補足:人種、宗教、国籍、男女、老若、障害のあるなし、などあらゆる人が共に支え合いながら生きる社会)の実現はまだまだ。本気でやるとコスト高なので、文化・スポーツなどでお茶を濁そうとしているのではないか。
福島氏は人格者なのだろう、婉曲に表現しているように思える。
ところで、筆者が気になるのは近頃のパラリンピック報道の氾濫である。パラリンピックに出場してがんばる障害者はもちろん賞賛に値するが、これを国威発揚に利用しようという匂いがするのは不穏なことである。また、パラリンピックにに出場できる障害者一握りであって、大多数の障害者は「ごく普通の人」なのである。
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これは健常者においてもオリンピックに出場できる人はホンの少しで、人口の大多数は「普通の健常者」であるのと同じ理屈だ。パラリンピックに出場する障害者の陰に普通の障害者が隠れてしまいはしないか。
福島氏はインタビューを次のような言葉で締めくくっている。
「近年、障害をハンディにしない障害者の活躍がメディアで大きく取り上げられるのも気にかかります。まずは『ただ生きていること』だけで人は認められるべきではないでしょうか。」
筆者も、その通りであると考える。
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