<テレビ界の老化現象>企画も予算も労働条件も年々劣化する「正月テレビ」

社会・メディア

両角敏明[テレビディレクター/プロデューサー]

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あたかも年ごとに正月が寂しくなってゆく老人のように、テレビの正月も年々寂しくなっているようです。

筆者必見の正月3番組、テレ朝『志村&所の戦うお正月』、『芸能人格付けチェック』、フジテレビ『平成教育委員会』を視たのですが、そろってまるでテレビの老化を象徴しているようでした。生き生きとした覇気が消えています。

『戦うお正月』では以前やっていたペーパードライバー対決などの手間ヒマ予算がかかる上に一部からひんしゅくを買いそうな企画は消え、おとなしめな企画だけが残りました。

『格付け』も設えが楽だからでしょうか、視聴者が参加できない味の比較などが増え、手間のかかるミニドラマの監督比較やマナー実演などが消えました。新しい試みもありません。

もっとも辛かったのが『平成教育委員会』です。

出題の工夫や演出がますます安っぽくなりました。司会は北野武、高島彩の名コンビですが、生徒役にビッグな出演者も意外性のある出演者もいません。最もビッグなのが関根勤、売れ筋は出川哲朗、岡田結美といったあたり。大活躍したのがビートきよしという展開はバラエティのフジテレビが元日夜9時に放送するスペシャルとしてはかなりの寂しさを覚えました。

【参考】民放キー局のジリ貧化を食い止めるには何か必要?

この3番組に限らず、三が日を通して、どの局、どの番組も正月ならではの豪華なキャスティングや驚くような内容の番組は見られなくなっているようです。これといった新番組も生まれず、逆にじわじわと増えてきているのが再放送枠というのがテレビのお正月の実情ではないでしょうか。

新しいものが生まれず新陳代謝に衰えが見えるとしたらそれは老化にほかなりません。

昨年、テレビ業界に大きな衝撃が走りました。「電通過労死問題」です。長時間労働は広告業界ばかりか、テレビ業界に長年巣くう深刻な問題です。テレビ局や制作会社の経営は、時間外労働賃金支払いによる人件費高騰を抑えるために、給与制度改革や番組の外注化、派遣スタッフの受け入れなどの手段を講じてきました。

一方で労基法対策や精神疾患、過労死などの対策も求められました。しかし、長時間労働問題は解決しきれないまま、薄氷の上を歩いてきました。ところが突然の電通過労死問題によって、次に長時間労働による重大問題を出したら社長の首が吹っ飛ぶという一触即発の瀬戸際に立たされました。

テレビ番組を作る人間の労務管理は一筋縄では行きません。テレビ制作者の給与を労働時間で計ることに無理があるという主張が根強くあります。その側面があることは事実ですが、労働時間と人件費コストがパラレルでなくなった時、業務命令する側のブレーキはどこでかかるのかという心配もあります。

制作者は会社員でなくフリー、個人事業者になればいいという意見もあります。実際、そういう立場の方もいますが、彼らの多くの労務状態が幸せなものかどうか・・・。できることならどこかの社員になりたいと考えている方も多いように思います。

生ワイド番組などの請負契約にはさまざまな法的制約があります。派遣スタッフには期間限定の問題とさまざまな待遇格差の問題が明らかです。

電通過労死問題報道によれば故・高橋まつりさんの時間外労働時間は月105時間に及んだとあります。この勤務状態が続くことが健全であるはずはありません。某キー局などは長時間勤務が続いたら強制的に医療機関での検診と休暇を命じることを制度化したと聞いたこともあります。

しかし、電通問題の報道を見ていると、いずれも不幸な出来事と長時間労働の因果関係を指摘しているものの、必ずしも長時間労働だけが誘因となったようには報じられていません。常態的な長時間労働は悪ですが、その疲労を精神疾患や死に結びつける別の要因の存在も重要です。

テレビ業界に身を置いた者なら、月105時間の時間外労働は身近な話ではないでしょうか。筆者自身も月の時間外労働時間が100時間を越えた経験はあります。その時、仕事が楽しかったからでしょうか、その疲労が重い精神的負担にはなりませんでした。

素朴な経験論にすぎませんが、楽しく仕事ができているかどうか、つらい状況でもそれが常態ではなく先に希望が見えているかどうかは、長時間労働と精神的負担を考える上でのひとつの要素だと思います。

この点で少し気になることがあります。

テレビにおける若手スタッフの楽しさは、取材やロケに飛び回り、タレントさんと接したり、時には自分のアイデアが番組に反映されたりすることにあります。それらの作業の中で認められて、ディレクターへ育って行くのですが、昨今のテレビ業界は若手スタッフのやりがいや道筋が失われつつあるというのです。

たとえば、昔はなかったAD(アシスタント・ディレクター)の仕事があります。

ロケやスタジオ収録の内容を出演者の一言一句すべてを書き出すという作業です。往々にして徹夜を強いられるこの機械的作業は、ディレクターが経費効率よく編集するための下準備です。

【参考】<パソコン未所有と貧困は無関係>NHKが描く「貧困女子高生」のリアリティの低さ

生ワイド番組などでは、金のかかる自主取材やロケが減り、スタジオでパネルを使ったプレゼンスタイルが多くなっています。スタッフはパネルのための資料集めや原稿発注の作業に追われます。

こうした楽しくない作業が増える傾向はいずれもテレビ業界が求められている制作費削減と無関係とは言えないような気がします。またこの傾向は若手スタッフが一人前のディレクターに育って行く道筋を狭め、若手の意欲を奪っているという声もあります。

1953年に放送を開始した日本のテレビは60代半ばとなりました。今やテレビを視る方も作る方も若者離れが進み、正月番組をはじめ番組からは勢いや若々しさが奪われつつあるようです。

そんな中で遠からず放送業界は長時間労働問題に具体的な「強い一手」を打たざるをえないと思われます。「事あれば社長の首が吹っ飛ぶ」事態ですからこの問題の解決に望むトップの姿勢が半端であるはずがありません。

しかし、その「強い一手」に副作用があれば、ますますテレビの老化を進めてしまうのではないかと怖れます。

テレビ業界は、長時間労働をなくしながら番組を活性化させるという知恵を求められています。それは極めて難しい課題ですが、追いつめられ大胆になったときほど奇跡のようにすばらしいパワーと知恵が湧いてくるような気もします。

60代半ばになったテレビ業界に奇跡が起こり、働く人たちも、番組も、若々しく生き生きとしてくれるといいのですが。

 

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