全員役人(悪人)の権力犯罪放置国家ニッポン-植草一秀
植草一秀[経済評論家]
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大阪地検特捜部が財務省の犯罪を無罪放免にした。日本の検察には巨大すぎる裁量権が付与されている。
その裁量権とは「犯罪が存在するのに犯罪者を無罪放免にする裁量権」と「犯罪が存在しないのに無実の市民を犯罪者に仕立て上げる裁量権」である。
より重大なことは、こうした刑事司法のゆがみが政治権力=行政権力によってもたらされており、かつ、裁判所組織もこれに加担していることである。裁判所組織が加担する背景には構造的な問題がある。
裁判所裁判官の人事権を内閣が握っており、内閣が恣意的に人事権を行使すると裁判所は政治権力=行政権力から独立できず、政治権力=行政権力に従属してしまうからである。安倍首相の最大の特徴は、憲法が定める三権分立の基本をないがしろにして、内閣総理大臣の権限を濫用している点にある。
とりわけ人事権の濫用が顕著であり、この人事権の濫用を主たる原動力として、検察、裁判所、NHK、日銀を不当支配してしまっている。行政官庁を人事権濫用によってゆがめていることも言うまでもない。つまり、日本の立憲民主主義制度全体が破壊されているのだ。自民党幹部は、「刑事問題は司直の手に委ねるしかない」と述べるが、その司直が政治権力によって支配されているのだから、司直の判断は茶番でしかない。安倍政治の特徴は刑事司法と情報空間を不当支配していることである。
これによって、民主主義の根幹が揺らいでいる。刑事司法の支配は、社会の暗黒化をもたらしている。まさに「権力犯罪放置国家ニッポン」そのものである。
決裁公文書を改竄して、元の公文書とは異なる別の公文書を偽造したのであるから、虚偽公文書作成の罪に問うべきことは当然のことだ。しかし、新たに作成された公文書が元の公文書の一部を削除したものであるために、全体の趣旨が著しく変化しておらず、刑法上の罪を問うことはできない、などと説明するが、いかなる判断においても、説明をつけようとするなら、いかなる説明もつくものだ。判断は「恣意」以外の何者でもない。
2009年から2010年にかけて日本を揺るがした巨大事件がある。西松事件と陸山会事件だ。西松事件とは、西松建設関連の二つの政治団体からの寄附を、事実通りに政治資金収支報告書に記載して提出したことについて、小沢一郎氏の資金管理団体の届け出だけを犯罪だとして資金管理責任者を逮捕、起訴した事案だ。まったく同じ事務処理をした10以上の政治資金管理団体は何も罪を問われなかった。そして、この収支報告は完全に合法的なものであることがその後に明らかにされた。
陸山会事件とは、小沢一郎氏の資金管理団体が20014年10月に代金決済し、2005年1月に所有権移転登記した不動産取得について、これを2005年の収支報告書に記載して報告したことが「虚偽記載」だとされた事案である。現職の衆議院議員であった石川知裕氏を含む元秘書3名が逮捕、起訴された。法の解釈で罪を問うべきかどうかを考えるなら、西松事件も陸山会事件も、およそ刑事事件として取り扱うような事案でない。にもかかわらず、逮捕、起訴し、家宅捜索を繰り返した。
ところが、今回の重大犯罪事案において、財務省には一度も家宅捜索が行なわれていない。家宅捜索が行わなわれない間に、財務省は関係証拠の罪証隠滅まで実行していたのである。
準強姦容疑で逮捕状まで発付されても、首相の近親者であれば逮捕状は握り潰され、検察審査会に審査が申し立てられても、無罪放免は維持されてしまう。甘利明氏のあっせん利得容疑も無罪放免にされる。
政治権力にとって刑事司法を支配することは、最大の武器になり、安倍政権は刑事司法の完全支配による日本社会の全面暗黒化を実現している。同時に、政治権力が手を伸ばすのが情報空間の支配である。民間のマスメディアは、資本力によって支配される。資本と癒着関係にある政治権力は、資本を通じて民間メディアを不当支配する。
さらに、安倍首相はNHKの人事権を濫用するとともに、NHKの財政基盤を支配していることを武器にして、NHKを完全に私物化している。刑事司法と情報空間の支配が、民主主義社会を破壊する最大の原動力になる。
もりかけ疑惑という、客観的に見れば完全な重大犯罪も、暗黒社会日本では、完全無罪放免にされるのだ。「全員悪人」そのものだ。
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