『岸辺のアルバム』『ふぞろいの林檎たち』『想い出づくり』の名匠、鴨下信一の演出技法(全3回その③)

エンタメ・芸能

高橋秀樹[放送作家]・水留章[テレビ制作会社 社長]
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メディアゴン主筆の高橋(僕)と友人の水留は、連れ立って演出の秘密を聞き出しに伺っている。鴨下信一さんは演出に必要なのは「解釈と決断」と、おっしゃった。そして…

「ある有名な脚本家に台本をもらいました。夜、電話がなる。海外から。でもそれは変だった。あの緻密な名手にして気づいていなかったんです。時差があるんだなあ」
「ただし、ほかの構成は完璧。こういうときは困ります」
「脚本家は、勢いがあってのって書いているときのホンはわかります。そういう時は小さな問題で止めてはいけない。そこで思考停止になってしまうことがある」

僕が、少ない経験から、言葉を継ぐ。
「停電という理由が一番いいんだけど、いまどき停電なんてないと思うと、気になって気になって、それから先が書けなくなります」
「そういうことあるよね、書く人はやっぱり」
書く人、と認めてもらってなんだかすごくうれしい。
「そういう時は、僕がこっそり、直しておく」
鴨下さんは優しい人だ。実はちっとも怖くないのではないか。と僕は思い始めていた。一番聞きたかったことを、ずばり聞く。
「鴨下さんは、知識量で役者を圧倒して演出することがあるんじゃないですか」

「知識は必要。でも、威圧的ではない。役者はほめたほうが良くなる」
「ただ、雑多な知識が、演出家の急場を救ってくれることはあるよね。役者さんに、ここはこうしたほうがとか言われて、自分としてはどう答えていいかわからないんだけど、『そうですね、同じことは、グルーチョ・マルクスも言ってます』と、過去の例を引く。たとえば、大物のコメディアンに笑いのことで理解を求める時、演出する時、過去の偉大な喜劇人の言葉を引用流用して説得するのもひとつの僕の方法です」

僕は、演出家は、迷っているときに答えを出してはいけない。答えが出ないときは稽古をやめれば良いのだ。演出家はそういう権利を持っている役職だと、アメリカ映画の演出論の本で読んだことを思い出す。

「橋田壽賀子さんと、『女たちの忠臣蔵』をやったときです。脚本をもらったら、討ち入りのシーンがまったくない。橋田さんに、忠臣蔵で討ち入りがないのはおかしいから入れてくださいとお願いした。私は書かないとおっしゃるので、重ねてお願いした。しぶしぶ納得して書きなおしてくださった。いただいた脚本を見ると、大きな空白に『討ち入り』とだけ書いてある」
「ということは、ここは自分で作るしかない。そこで、どんな討ち入りだったか調べ始めたら、どうしてもわからなかったのが、吉良邸の雨戸をどうやって破ったかなんです。鳶口なんかで、引っ掛けて、倒したら、大きな音がして気づかれてしまう。いろいろ調べていたら,『はんきゅう』って言うのがあるとわかった」

『はんきゅう?』僕の頭の中の漢字変換は「阪急」という字にしか変わらない。

「『半弓』というのがあったんです。室内での接近戦に使う小さい弓ですょ。
浪士たちの討入り所持品目録にこの短い弓を誰が持ったか迄書いてある。
だったら普通の弓も持って行ったはずだと推測して気づいたのです。
普通の槍を雨戸の上枠と、下枠に、たわめて、ひっかける。
そうしておいて、上弦を断ち切る。すると、弓がはじけて、反動で雨戸がポロっと外れる。それが分かった時は嬉しかった。」

この討ち入りシーンを観た、俳優さんたちはみな、度肝を抜かれ、背景にある知識量に圧倒されただろう

「勿論、普通の長さの弓は持って行ったとは書いていない。

しかし浮世絵や50年位後に上演された歌舞伎ではそうしている。
この噺は「巷談」「稗史」の類だけれど、そうしたものには一部の真実があると思っているんです。
だから「俗説」を僕は侮らない。」

ますます、聞き入るばかりだ。

「カメラマン、を演出するのも、演出家の仕事です。『想い出づくり』の時、三人娘(森昌子、古手川祐子、田中裕子)が、新宿の雑踏を歩いてくるシーンを望遠レンズで撮った。その時、カメラマンには内緒で、三人娘に途中で店に入っちゃえと、耳打ちした。カメラマンは視界から三人娘が消えるので焦る。それでも何とか撮る。そういう演出家なんだとカメラマンに刷り込む」

「知識に関しては演出家はさり気なく出しておく」

「そうそう、その積み重ね。それから演出家に必要なのは演技力」

「演技力ですか。」僕は、びっくりして、こんなエピソードを話す。

「演出家は、役者の前で演じてはいけないという鉄則があると思ってました。ある地方局の演出家が田中絹代さんをヒロインにしてドラマを撮った。セットに、大きな回り階段がこしらえてあって、田中さんは、回り階段を降りてきて、止まって一言言うという芝居だった。何回かやってもらったが演出家は気にいらない。そこで、サブからセットに降りて行くと、自分で、その演技を田中さんの目の前でやってみせた。すると田中さんは『お上手ねえ、ご自分でおやりになれば』と、おっしゃってお帰りになった」

鴨下さんが、これまでにはない大きな声でカラカラ笑う。

「全部演技しちゃダメです。演出家の演技力で、見せていいのは、ほんの一部。手のこなし、脚さばき。
そういった事だけレクチャーできていれば、後はエクササイズ。考えさせる。演出家はうまくなっていくのを褒めていればいい。
エクササイズを繰り返して上手になってゆく能力においては演出家は役者にはかなわない」
「スポーツで言えば、選手より早く走れるコーチはいない」
「大事ななことは演者をコーチすることです。
錦織のマイケル・チャンです。マイケル・チャンだってランク1位にはなっていません。
でも錦織に1位になれと指導します。」

スタニフラフスキー・システムやメソッドという演出理論がありますが、などという素人が聞きそうな、いかにも生硬な質問も用意していたので聞いてみる。
スタニスラフスキー・システム(Stanislavski System)は、ロシアの俳優・演出家コンスタンチン・スタニスラフスキーが提唱した演技理論。フロイト心理学の影響を受けており、があると言われる。マーロン・ブランドは、その信奉者。
メソッドは、スタニスラフスキーの影響を受けたリー・ストラスバーグらアメリカの演劇陣によって、1940年代にニューヨークの演劇で確立・体系化された演技法・演劇理論。ブロンド・ダイナイマイトと呼ばれて、アメリカのセックス・シンボルであることを極端にいやがっていて、マリリン・モンローは、演技者として認められようと、このメソッドを必死で学んだという。

「スタニスラフスキーやメソッドは、時にそういうことを言う役者がいるから、知っておけばいいだけじゃないの。メソッドは初期の役者を育てる時なら役に立つかもしれない。でも、高いレベルの実際の現場ではねぇ」

と微笑む、鴨下さんは両方共、理解しているらしかったのであった。
面談が終わって、肥満の僕はぐっしょりと汗をかいていた。ピンクのジャケットまで汗が沁みだしている。先入観はろくな結果をもたらさない。演出家・鴨下信一はやさしい笑顔が魅力的な昭和10年生まれの演出家であった。
優れた人の演出論は発見がいっぱいで面白い、僕は水留に言った。
「また会いに来ようよ」(了)
 
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